知識偏重で「見識・器量」を磨く教育をしなかった明治以降の政府「・・明治・大正・昭和にかけての学校教育というものが残念ながら人間教育(人間の本質的要素である徳性を磨くこと)をお留守にしてしまった。専ら知識教育・技術教育になってしまったのであります。明治時代はまだ旧幕府以来の余徳でいわば先祖の財産で暮らせたように、それほど弱点を出さなかった。馬脚を現さなかったのでありますが、しかしその間に、残念ながら . . . 本文を読む
最近感じたのですが、拝むときは、明るい心で拝んだ方が成就しやすいのではないかということです。大変な事があるから拝むので、そんな時に明るい心になれというのは矛盾していますが、大変な時だからこそ無理して明るくふるまうことが大切と思えるのです。
人間も暗い雰囲気で相談をうけるのと、明るい雰囲気で相談を受けるのとでは、後者の方が相談に乗りやすく、又いいアイデアが浮かぶことは必定です。神仏も同じであろうと . . . 本文を読む