知識偏重で「見識・器量」を磨く教育をしなかった明治以降の政府
「・・明治・大正・昭和にかけての学校教育というものが残念ながら人間教育(人間の本質的要素である徳性を磨くこと)をお留守にしてしまった。専ら知識教育・技術教育になってしまったのであります。
明治時代はまだ旧幕府以来の余徳でいわば先祖の財産で暮らせたように、それほど弱点を出さなかった。馬脚を現さなかったのでありますが、しかしその間に、残念ながら「出来た人物」というのは非常に乏しくなりました。専ら高利的・知識的な機械的な人物、才人、理論家が排出したわけであります。・・そこで第一次大戦で日本はほとんど犠牲らしい犠牲を払わずに戦争に便乗して大儲けをした、この時に・・明治から大正にかけての日本の退廃と堕落が一辺に噴出したのであります。・・昭和の初めになって「昭和維新(注、五・一五事件、二・二六事件等に代表される右翼運動)」ということが叫ばれるようになりました、・・ところが明治維新とちがったところは、中心人物たちが・・人間が練れておらぬ、見識とか器量とかいうものはできておらぬ、・・それが転じて満州に反映しました、・・このときに根本的教養の欠如というものがおおきな災いをいたしました。・・(安岡正篤「人間教育をわすれた明治の失敗」)・・」
今は知識さえも尊敬せず金儲けのみを重視します。
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