(続日本紀・慶雲三年(706年))「春正月丙子朔、天皇(文武天皇)大極殿に御して朝を受けたまふ。新羅使金儒吉等列して有り。朝廷の儀衛常に異なること有り。」
この前の年10月に新羅の使者が来日していました。
天武天皇の即位(7世紀おわり)から780年まで、日本・新羅関係の情勢に応じながらも新羅から遣日本使が30回以上送られているようです。 . . . 本文を読む
「本朝高僧傳」
「高麗國沙門 慧灌傳
釈慧灌は高麗の人。随に入り、嘉祥寺吉蔵大師に従って三論旨を稟く。推古三十三年626正月元旦、本国貢来。勅して元興寺に住ましむ。盛んに空宗を説く。是の歳夏旱、灌を詔して雨を祈る。灌、青衣を著し三論を演講し大雨即ち下る。天皇大悦、擢んでて僧正に任図ず。白鳳十年春二月、和州禅林寺成る。灌を請じて落慶導師と為す。灌又河内志紀郡(大阪府南河内郡)井上 . . . 本文を読む
日宝
2022-01-01 | 法話
高田竹鄰(注)「日宝」「一年三百六十五日その一日一日が白銀や黄金や玉にも替えがたき無価の宝である。新玉の年を迎へる毎に、われらは昼は日に光り、夜は星に輝く瑕なき霊宝を、三百六十五個の数を揃えて天から賜るのであるが、なさけなや私こそ真珠をあたえられた豚、小判の前の猫、「時」の価値を知らずして之を汚し、之を失うたこといかばかりであるか。わたしはさながら放蕩息子のように過去五十年すでに二万に近き「日の宝 . . . 本文を読む
称徳天皇が尼僧のまま践祚された日
續日本紀巻二十六・高野天皇第四十八代
「天平神護元年765春正月,癸巳朔、西宮前殿に御して朝を受け玉ふ」
高野天皇(称徳天皇)はこのときすでに出家して尼僧となっていた(注1)ので僧侶が天皇になった初めての事例となりました。
(注1)孝謙太上天皇の出家は
續日本紀巻二十四に「天平寳字六年762六月庚戌(3日)・・・又一には朕 . . . 本文を読む
今日元旦は一休禅師の誕生日でもあります。一休さんは、応永元年(1394).1月1日 京都で後小松天皇のご落胤として生まれたとされます。正月に「門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まりやもなし」とか「門松は冥途の旅の一里塚、めでたくもありめでたくも無し」とか詠んだとつたえられています。特に高齢社会の日本は正月はそれだけ死ぬ人が多くなるまえという意味も思っています。自戒すること切です。また頼瑜僧正は . . . 本文を読む
今日文永5年1月1日は蒙古・高麗の使者が大宰府に到着した日です。(以下ウキぺデア等に依ります)今の日本も正月だからと言って浮かれている場合ではありません。こういう歴史を冷静に見つめるべき正月です。今日文永5年1月1日、フビライの使節高麗使潘阜一行が大宰府に着き以下の文面が日本に伝えられました。「上天眷命大蒙古国皇帝、奉書日本国王、朕惟自古小国之君、境土相接、尚務講信修睦、況我祖宗、受天明命、奄有区 . . . 本文を読む
今日から3日迄法隆寺舎利講です。法隆寺等のホームページによると「聖徳太子御年2歳の春、東に向かって「南無仏」と唱えられた時、太子の掌に現れたという舎利1粒(「南無仏の舎利」)が伝わっており、この御舎利を本尊とする「舎利講」が1222年(貞応元年)から毎日行われていましたが、現在では、毎年正月三が日に限り、古式にのっとって行われているとのことです。
法隆寺ホームページには「2022年の舎利講は関係 . . . 本文を読む
修正会
2022-01-01 | 法話
修正会お正月には1日又は7日に修正会が高野山・長谷寺・智積院・知恩院・薬師寺・法隆寺・東大寺・東大寺等の諸大寺で行われます。(高野山修正会はここにあります。長谷寺修正会はここにあります。東大寺修正会はここにあります。・・)1、 起源と目的(起源ははっきりしませんが8世紀とおもわれます。目的は鎮護国家と万民豊楽でした。鎮護国家と個人的利益が一体になってるところが注目すべき点です。)続日本記・天平勝宝 . . . 本文を読む