「古今著聞集 神祇第一」「徳大寺實能熊野詣の事幷こりさほの事」
「いつごろのことにか、徳大寺の大臣(注1)、熊野へ参り給ひける。讃岐国知り給ひけるころなりければ、かれより人夫多く召しのぼせて侍りけるが、おほく余りたりければ、少々返し下されける中に、或る人夫一人、頻りに歎き申しけるは、「高き君の御徳によりて、幸に熊野の御山拝み奉らんことを悦思ひつるに、余され参らせて帰下らんこと、悲しきことなり。た . . . 本文を読む
明治三陸大津波は明治29年6月15日、三陸沖を震源として起こったマグニチュード8.5の巨大地震で死者行方不明者2万1,959人とされますがこの時も僧侶が慰問にいって泣いて読経できなかった様子がありました。
「仏教顕揚会の慰問師達が細浦(現南三陸町)という村で行った回向を行っていると、十三四の男女より七八十の老人皆が滂沱の涙を流し会場が嗚咽に包まれた。この村はもともと1 . . . 本文を読む
今日は時頼が「法華經の形木供養」をした日。建長三年(1251)三月大九日己巳。天霽、風靜也。今日、相州(北条時頼)、御第(自宅)に於て、法華經の形木を供養(版木供養)被る。鶴岡別當法印導師(鶴岡八幡宮筆頭法印隆弁(天台宗寺門派の僧侶、鶴岡八幡宮・園城寺別当・長吏、大僧正・大阿闍梨。宝治合戦において時頼勝利の祈祷を行う。以後北条得宗家と結びついて園城寺を再興))爲。是年來の御素願に依て、手自ら功を畢 . . . 本文を読む
永延三年989三月九日、円融法皇は東寺に於いて寛朝より伝法灌頂を受けています。「真言伝」に「永延三年三月九日、円融法皇東寺ニテ、大僧正(寛朝)ヲ大阿閣梨トンテ、傳法潅頂ヲ受ヶ給フ、寛平法皇ノ御例ニ任テ色衆八十三口ナリ、一宗ノ光華ト世以テ美談トス」 . . . 本文を読む
延喜九年909三月九日宇多法皇は光孝天皇周忌に仁和寺において法華八講を修しています。日本紀略に「(延喜九年)三月九日乙亥、太上法皇宇多、於仁和寺被修法華八講.依逆修之功德也.」 . . . 本文を読む
今日は唐禅僧慧安遷化の日です。以下「仏学大辞典」等より。慧安は景龍三年709・三月八日、128歳で遷化しています。禅宗五祖弘忍の十大弟子の一人。荊州(湖北省)支江人。隋・大業年間(605~616)師は庶民の病困を救済す。煬帝之を聞きて召すも,師は乃ち潜みて太和山(武当山)に入る。後,帝の江都に臨み,海内擾攘するや,師は乃ち杖錫して衡岳寺に登り,頭陀法を行ず。唐・貞観年間(627~649),黄梅山に . . . 本文を読む
「吾妻鑑」「建長三年(1251)三月大九日己巳。天霽、風靜也。今日、相州(時頼)、御第(自家)に於て、法華經の形木を供養(版木供養)さる。鶴岡 別當法印 導師たり。是年來の御素願に依て、手自ら功を畢へ令め修結令むと云云。」 . . . 本文を読む
和田性海師は密教辞典によると「明治12年8月2日~昭和37年3月9日。号不可得。兵庫県佐用郡の人。明治26年清林寺伊達義禅に得度。同35年東京哲学館卒業。林本応から苾蒭戒と灌頂を受け、同42年御室派伝道部主任。以布教師として内地・朝鮮・ホノルルに巡教。昭和9年高野山大学学長、24年高野山真言宗管長・・昭和29年平井巽・藤田清・亀井宣雄等と共に月刊「全人」を発行。著書、仏教修養講話・ . . . 本文を読む