「三国伝記 長谷寺の事」
「寛平二年890三月三日、(宇多天皇は)今の北野天神に詔して桃花の宴を押へ徳政の謀をお尋ねあり。天神勅問を請ふて四個条の事を奏したまふ。先ず仏法を崇め神明を敬ひ、聖跡を興し、賞罰を行ふべし云々。重勅して曰く、聖跡何れの所をか興すべき。ここに天神鎮護国家の伽藍十八か所を勘へ其の中に長谷寺は開闢より以来勝地神明発願の精舎也と奏す。仍りて七年七月二十七日、詔を . . . 本文を読む
今日は聖武天皇が諸国にお釈迦様像の建立と大般若経の写経を命じられた日
続日本紀(天平九年737三月丁丑(三日))「(聖武天皇)勅して曰く、国ごとに釈迦仏像一躯・挟侍菩薩(注1)二躯を造り兼ねて大般若経一部を写さしめよ」
(注1)挟侍菩薩とは脇侍菩薩の事。お釈迦様の場合は文殊菩薩 と普賢菩薩 . . . 本文を読む
「日本三大實録」「曲水の宴 (同日(三月三日のこと)
「是は昔王卿など参て御前にて詩を作りて講ぜられけるにや(注1)。御溝水(みかはみず・御所を流れた水)に盃をうかべて文人以下是をのむよし康保の御記にのせられたり(注2)。又顕宗天皇元年487三月上の巳の日後苑に幸して、めぐり水の豊のあがりきこしめすと、日本紀にあり(注3)。曲水の宴は周の世より始まりけるにや。文人ども水の岸になみゐて、水上より盃 . . . 本文を読む