今日は道長が出家して行観となった日
「大鏡」
「・・御年五十四にならせたまふに、寛仁三年己未三月十八日の夜中ばかりより御胸を病ませたまひて、わざとにおはしまさねど、いかが思し召しけむ、にはかに、二十一日、の時ばかり、起き居させたまひて、御冠し、掻練の御下襲に布袴(ほうこ)をうるはしくさうずかせたまひて、御手水召せば、何事にかと、関白殿をはじめたてまつりて殿ばらも思し召す。寝殿の西の渡殿に出でさ . . . 本文を読む
大師は御入定までの間だけでも無数の奇跡(パホーマンスともいう人がいますが)を起こされています。これらはすべて人々を驚愕させることにより密教を弘通しできるだけ多くの衆生を済度してやろうとの深い思し召しによるものです。最近このありがたさが感じられるようになりました。 . . . 本文を読む
・宝亀八年777三月二十一日宮中に頻繁に妖恠あり、六百僧、百の沙弥を請じて大般若を転読せしめる。(続日本紀「宝亀八年五月辛未,大祓.為宮中頻有妖恠也.蓋井上內親王、他戶親王怨靈乎. 癸酉,屈僧六百口,沙彌一百口,轉讀大般若經於宮中.) . . . 本文を読む
正和四年三月二十一日、後宇多法皇が「宸筆弘法大師傳」(国宝、大覚寺蔵)をお書きになっています。「第八祖大日本國贈大僧正法印大和尚諡弘法大師者、讃岐國多度郡人也、法諱空海、遍照金剛號、大唐青龍寺恵果和尚之付法也、以大日如来七葉相承、両部大法、漢梵無差悉以傳受、猶寫瓶、夫両部秘法者、諸佛之奥蔵、即成之經路也、訶陵新羅之英傑、劔南北方之俊才、各得一果(注1)、不能兼聴、亦以両部灌頂、雖授義明供奉(注2) . . . 本文を読む
今日、長承4年(1135)3月21日は覚鑁上人が大伝法院・金剛峯寺座主を辞任し密厳院で無言三昧の行に入られた日です。これは保延5年(1139)4月2日までの4年間、1446日に及びました。『密厳院発露懺悔文』にその時の願いが著わされています。これは自分も真別処で50年も前に加行をしたとき毎晩読まされました。いまも僧侶の頂門の一針です。密厳院発露懺悔文「我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏れて衆罪を . . . 本文を読む