後白河上皇高野山大塔御起請文は文治三年1187五月一日に発せられています。以下,「宸翰英華」によると後白河上皇の起請文は「文治二年、五月三日、高野山僧鑁阿は世上の不安を一掃し併せて争乱により死亡した亡者の霊を慰めんがために根本大塔に於いて長日不断の金胎両部供養法を勤修すべきことを発願しこの日を以て後白河上皇の院庁に解状を奉呈しその用途支弁のために料所一箇所の施入を奉請した。上皇はその願意を嘉したま . . . 本文を読む
天永4年1113、五月一日、寛助が禁裏で五壇法・中壇を勤めています。(続群書類従733・五壇法日記に「天永四年五月一日。また五壇法を始めらる。中壇は権僧正覚助」。)寛助は1052永承7年蔵人頭左中辯源師資の息として誕生。仁和寺経範法務に出家、後高野山で修行、仁和寺覚法親王の招請で御室に帰り、遍照寺別当・仁和寺・円教寺別当。御室に成就院を開創、成就院流の祖。37代東寺長者、東大寺別当。鳥羽帝・白河上 . . . 本文を読む
最近、ともすれば心がとんでもなくマイナスの方向に向きがちでこのままではいけないと思っていました、そんな折、テレビで「稲盛和夫」の「すべての現象は、自分の心の反映でしかない」との言葉を聞き、なぜか素直に胸にストンと落ちました。さらにあることで心が明るい方向に向くようになり、神仏を恨む心が次第に神仏に感謝する方向に向きはじめました。
そんな折、
「菩薩摩訶薩は三界は唯心、三世は唯心と知り、其の心は . . . 本文を読む
花園天皇宸筆御記(宸翰英華)「(文保元年1317五月一日丙寅)晴、炎旱已に旬に渉る。曾って青苗なく赤地有り云々。朕不逮を以て重任に居る、恐れざるべからず。仍しきりに心中殊に懇祈を致すも其の験無し。昨日、心経を誦し之を祈請す。午後天陰、風吹き甘澍忽ち灑そそぐ。喜悦極りなし。水天の供験、亦微志の所願悦ばざるべからず。」
鎌倉将軍は守邦親王、執権は北条高時。この頃は鎌倉幕府に実権が移っ . . . 本文を読む
天平勝宝4年752、5月1日は良弁が東大寺別当となった日です。(東大寺別当次第)良弁は奈良時代の華厳宗の僧。東大寺開山。2歳のときワシにさらわれて,奈良の春日神社のスギの木に捨てられ,義淵僧正に拾われて育てられたという逸聞がある。義淵について法相,唯識を学び毘盧遮那仏を造立し金鐘寺とした。この金鐘寺に新羅の僧審祥を招き,最初の『華厳経』の講讃を行なった。その後金鐘寺を改めて東大寺とすることになり橘 . . . 本文を読む