百錬抄 / 建永元年(1206)五月四日条「五月四日 廿二社(注1)に奉幣使を発遣せらる 依って疱瘡御祈也」(前年元久三年1206年に、赤斑瘡(はしか)が大流行したとして此の年四月二十七日に建永に改元されたばかりですが、今度は疱瘡が流行し遂にこの後、建永二年に再度「承元」へ改元しています。)(注1)「伊勢,石清水,賀茂,松尾,平野,稲荷,春日,大原野,大神(おおみわ),石上(いそのかみ),大和(お . . . 本文を読む
佛は医王
2023-05-04 | 諸経
以下に引用するように諸経典には仏様は医者に喩えられています。つまり病気になるのは衆生の側の事情で仏は事前には如何ともし難く、事後に救いの手を差し伸べて下さるにすぎない、ということを説いていることになります。無盡の因果の連鎖で人生苦に苦しむようになった衆生にその苦を癒す方法を教えるのが仏様ということを経典は言っているのです。しかし御大師様が秘蔵宝鑰でおしゃっているようにその医王のおっ . . . 本文を読む
今日は、嵯峨天皇妃檀林皇后(橘 嘉智子)崩御の日です。檀林皇后は橘氏の娘として嘉祥3年5月4日(850年6月17日)に生まれ、嘉祥3年(850年)3月に落飾されその年の5月4日に冷然院において65歳で崩御されています。
類なき美人であったといわれる檀林皇后はその美貌から僧侶までも修行に身が入らなくなったといわれ、嵯峨天皇の薫陶で仏教に深く傾倒されていた皇后は、自らの体を帷子の辻に . . . 本文を読む