今日は祈雨を醍醐清滝と室生竜穴に祈り効験があった日です。「夕拝備急至要抄」に「嘉禎三年1238、五月十九日・・近日陰気、天見ると雖も雨脚未だ地を湿らさず。稼穡の業、便を失ひ人民の愁ひ休なし。醍醐寺におおせられ法印権大僧都実賢,浄侶を率いて明二十日より清滝において孔雀経を転読せしむ。興福寺に於いて権僧正同浄侶を率いて室生寺竜穴神社において仁王経を転読せしむ。各七日を限る。‥時日をい経ずして忽ちに雨澤 . . . 本文を読む
続日本紀 / 天平九年(737)五月壬辰(十九日)条「 (聖武天皇)詔曰 四月以来 疫旱並行し、田苗燋萎す。是に由りて山川に祈祷し神祇に奠祭すれども未だ効験を得ず。今に至り猶苦しむ。朕不徳を以て實に玆の災を致せり。思ふに寛仁を布きて以て民の患を救はむ。国郡をして寃獄を審録し、骼路(きゃくろ・主要道路)を掩ひ、胔を埋めて、酒を禁ち、屠を断たせむ。 高年の徒、鰥寡こ独及び京内の僧尼男女、 疫に臥して自 . . . 本文を読む
今日は義賢が疱瘡平癒を祈り宮中で仁王経を修した日です。(後花園天皇)「)(寶徳四年1452五月)十九日、この日より三宝院義賢を召して禁中に仁王経を修す。」(師郷記、続史愚抄)三宝院義賢は足利満詮の子。後遍智院准后。東寺長者 ・三宝院門跡・醍醐寺座主・准三后(太皇太后,皇太后,皇后の三宮に准ずる待遇を与えられた者をいう)。後花園天皇は102代。寛正二年にも三宝院義賢に心経を供養させています。続史愚抄 . . . 本文を読む
今日は唐招提寺中興の祖・覚盛の遷化された日です。覚盛は建長元年(1249)五月十九日、56歳で遷化されています。諡号は大悲菩薩。 貞慶に師事し,のち明恵から華厳を,西大寺の戒如から律をまなび、嘉禎二年円晴,叡尊,有厳とともに東大寺で自誓受戒されています。四条天皇をはじめ皇族や公卿に菩薩戒を授けています。のち唐招提寺にはいり, 戒律復興の祖・鑑真の再来といわれ,唐招提寺中興の祖とされます。遷化のご様 . . . 本文を読む