中右記・(嘉保二年1095九月)「二十四日、御悩に依りて、大極殿に千僧観音経御読経を、禁中に大般若書写供養転読等を行はしめ、又諸社諸寺をして、御読経等を、五畿七道諸国をして、丈六観音像書写供養等を行はしめ、御平癒を祈らしむ、是日、上皇、亦、延暦寺に於て、千僧御読経を修せしめ給ふ、尋で、紫宸殿に於て、新写大般若経転読を行はしむ」
天皇は堀河天皇。上皇は實父の白河上皇。
この時は天皇は回復されたようです。
堀河天皇は「末代の賢王」(『続古事談』)と評される賢帝として知られた。「天が下治まりて、民安く世のどかなり」(『発心集』)といわれた。しかし白河院の政務への関与が強まると、天皇の興味は趣味の世界に移っていった。叔母にあたる中宮・篤子内親王の薫陶を受け、学問・和歌・管弦に才能を発揮して廷臣らに慕われたが、生来病弱で、在位のまま宝算29で崩御(嘉承二年七月十九日1107)。
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