花園天皇宸筆御記(宸翰英華)「(文保元年1317五月一日丙寅)晴、炎旱已に旬に渉る。曾って青苗なく赤地有り云々。朕不逮を以て重任に居る、恐れざるべからず。仍しきりに心中殊に懇祈を致すも其の験無し。昨日、心経を誦し之を祈請す。午後天陰、風吹き甘澍忽ち灑そそぐ。喜悦極りなし。水天の供験、亦微志の所願悦ばざるべからず。」
鎌倉将軍は守邦親王、執権は北条高時。この頃は鎌倉幕府に実権が移って長いのですがそれにもかかわらず天皇陛下は旱による庶民の苦しみを思いやって心経写経をされました。寶算わずか二十一歳の御時です。