史料綜覧 巻五 / 文永元年(1264)七月廿八日条「廿八日 仁王経法ヲ後嵯峨上皇ノ御所ニ修シテ 彗星ヲ禳フ」「廿八日庚子 一院御所<萬里小路殿>に於いて、彗星の為、御所御祈、仁王経法を修せらる。 阿闍梨定親僧正なり。」定親は密教大辞典によれば、「東寺長者。内大臣藤原通親の子。仁和寺定豪に傳法灌頂受法、・・正嘉元年七月神泉苑に請雨法を修し験あり、文永元年七月萬里小路仙洞に仁王経法を修し優賞を . . . 本文を読む
獅子岳快猛師のこと・「知命と立命: 人間学講話・安岡 正篤」 に大要以下のように獅子岳快猛師のことが書かれてありました。「明治初年の頃、高野山に快猛という管長がいたことがあります。このひとは獅子が岳という山の庵で寂莫二十年一日の如く修行していたという人です。それを根気よくみつめていた道雅という師が突如としてこれを一山の長に抜擢したという人であります。人呼んで獅子が岳快猛という。此の人はおよそものに . . . 本文を読む
・密教辞典に「獅子岳快猛。文化十年~明治22・7・28。長府藩士森脇氏の出。幼時長府神上寺に出家。12歳高野山成福院衆坊に入り、龍光院で修学練行すること30年。42歳で西禅院に住し引摂院・等持院を兼務、無量寿院主にのぼる。明治12年金剛峯寺第384世座主。・・・護法教化は全国に及んだ。」・「知命と立命: 人間学講話・安岡 正篤」 に大要以下のように獅子岳快猛師のことが書かれてありました。「明治初年 . . . 本文を読む
今日7月28日は慈雲尊者御生誕の日です。
慈雲尊者は享保3年7月28日(1718年8月24日)高松藩士上月安範の子として大阪中之島高松藩蔵屋敷に 生まれられ、文化元年12月22日(1805年1月22日)87歳で京都阿弥陀寺に入滅されています。尊者は江戸時代後期の真言宗の僧侶。田辺の法楽寺の忍綱貞紀和上に弟子入りし、儒学・禅・華厳・唯識・密教を研鑽。四部律とそれに基ずく十善戒を提唱されるとともに「 . . . 本文を読む