持統三年689七月一日、陸奥の蝦夷の僧「自得」が薬師像・観音像等を賜る。「(日本書紀・持統三年に)秋七月壬子朔、付賜陸奧蝦夷沙門自得所請金銅藥師佛像・觀世音菩薩像各一軀・鍾・娑羅・寶帳・香爐・幡等物。」 . . . 本文を読む
元徳元年1329七月一日、知恩寺の空円が後醍醐天皇の勅命により、一七日百万遍念仏を修して元弘の疫病を除いた。以来知恩寺は「百万遍」と称されるようになる(知恩寺ホームページ)。
「文明年間15世紀には毎年正月・五月・九月の十六日に禁中に於いて恒例百万遍念仏がおこなわれており・・」(「天皇と宗教」講談社学術文庫)」 . . . 本文を読む
今日は嵯峨天皇が「神明の道は 転禍為福とす」と言われた日日本後紀 / 弘仁三年(812)七月丁巳朔(1)「秋七月丁巳朔 (嵯峨天皇)勅す 頃者、疫旱並行し 生民未だ安からず 静言于此 情は切に納隍(どうこう・くるしむ)す 但し神明の道は 転禍為福とす 庶はくは祐助を馮み此の災禍を除かむ 宜しく天下名神に走幣せよ・・」秋七月一日、嵯峨天皇は勅を発して、「最近疫病と旱魃が同時に発生しているので、人々が . . . 本文を読む
「般若心経百万巻を読誦し得て ―私の人生における最大の仕事は般若心経百万巻読誦行であった。―鍵田忠三郎(元奈良市長)」という記事がありました。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwicnq . . . 本文を読む
今日は院宣により叡尊が石清水八幡で一切経を転読された日「弘仁四年1281、七月一日、興正菩薩叡尊、院宣により一切経を石清水八幡宮に転読し攘夷を祈る。(叡尊・忍性傳)丁度この日に元軍船は暴風雨により転覆しています。 . . . 本文を読む
史料総覧、弘安四年閏(1281)七月一日甲子条「一日甲子 日蝕 太政官廰に行幸せらる。大風雨に依りて元の兵船漂倒し、副将軍以下溺死するもの多し」今年も6月に日食が起こったばかりですがコロナという大災害が元軍のように撲滅されることを祈ります。 . . . 本文を読む
長者補任/ 文永九年(1272)七月一日丁巳条「一日丁巳 炎旱に依り神泉苑御読経を始めらる 阿闍梨は東寺長者前大僧正道融なり」道融は密教大辞典に依れば「1224~1281.西園寺公経の息。蓮華光院道圓の室に入り出家。東寺長者・仁和寺別当・東大寺別当。文永九年十一月には東寺に於いて異国降伏祈願のために佛眼法を修す。十一年十一月再度東寺において異国降伏祈願を修す。 . . . 本文を読む
今日は弘安の役で石清水八幡宮で叡尊が大般若を転読し台風が吹いた日八幡愚童訓 / 弘安四年(1281)七月一日条「一日 石清水八幡宮ニ大般若経ヲ転読シテ 外寇ヲ祈禳セシム」「弘仁四年1281、七月一日、興正菩薩叡尊、院宣により一切経を石清水八幡宮に転読し攘夷を祈る。(叡尊・忍性傳)」此の年、5月には蒙古軍が壱岐対馬に上陸、6月には博多に上陸しています。7月1日(または30日)に台風が来て蒙古軍が壊滅 . . . 本文を読む
日本後紀 ・弘仁三年(812)七月丁巳朔(1日)条「秋七月丁巳朔 (嵯峨天皇)勅す。 頃者、疫・旱並びて行ず(疫病と旱魃が同時に発生) 生民未だ安からず。此に静言す。 情は切なること納隍なり(堀に入れられているように切ない)。 但し、神明の道は 転禍為福なり 庶(こいねがわ)くは祐助を馮(たのま)ん 此の災禍を除き 宜しく天下の名神(注)に走幣すべし」(注)名神とは特に古来より霊験が著しいとされる . . . 本文を読む
今日は高野山准胝堂陀羅尼会です。7月1日 午後1時 伽藍准胝堂にて行われます。この法会は、明算大徳(1021年~1106年)のときに始められたと伝えられています。御影堂横「准胝堂」にて「佛頂尊勝陀羅尼」をお唱えし、日々の罪過を懺悔します。 . . . 本文を読む
今日は石鎚山お山開きです。
九州石鎚大権現社のホームページから
「石鎚山お山開き参拝。7月4日~7月6日 2泊3日と1泊2日。7月1日より10日間本社のご神体が山頂に鎮座され「お山市」として全国より信者が揃いの白衣を着て登ります。
参拝者は「ナンマイダー」「ナンマイダンボー」と声をかけ登拝し登り下りの参道で「お上りさん」「お下りさん」と独自の挨拶を交わします。お山に鈴の音ホラ貝がこだまし白装 . . . 本文を読む