ロシアのウクライナ侵略大虐殺など不条理の起こるたびに司馬遷ならずとも「天道是か非か」といいたくなります。しかし遠藤周作は「沈黙」で、「殉教者が苦しむのを神はなぜ救わないのか」と問う司祭ロドリゴに対し神に「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」と言わしめています。アウシュビッツを生き延びたヴィクトール・フランクルのことばにも「人は神に“問う存在”なのでは . . . 本文を読む
今日は原坦山老師遷化の日です。以下「明治の仏教者」等に依ります。原坦山は若くして儒・医を学び後に浅草総泉寺英仙の弟子となり、僧侶として出発。修行を重ね、風外本高の下で悟りを開き、大中京璨の法を嗣ぐ。1872年に教部省から教導職に任命されるが出版条例違反により僧籍を失う。その後、浅草で易者として生計を立てる。 その後、東大に始めて印度哲学科が設けられることになり総長加藤弘之が物色して浅草で易者してい . . . 本文を読む
御大師様の「理趣経開題」です。吾々が等しく持つ身と口と意(こころ)は金剛宝のように富貴自在の働きをするということです。最近ある秘法を数年続けていますがこの御大師様のお言葉を證明する出来事が続々と起こっています。詳しくかけないのが残念ですが・・・。「理趣経開題世に金剛宝あり、よく堅く、よくくだき、壊せず変ぜざるの力あり、得難く見難く、忽ちに富み忽ちに貴きの能あり。本有の三密も(我々生きとし生けるもの . . . 本文を読む
霊験による開眼
有名な「壺阪霊験記」は盲目の沢市が谷に投身するが観音様の霊験で開眼するはなしですが、古来盲人が霊験によって開眼した例は枚挙に暇がありません。とりあえず目についた新旧6例をあげます。
1, 「二つの目盲ひたる女人の、薬師仏の木像に帰敬して、以て現に眼を明くこと得し縁」(『日本霊異記』下巻第十一)」
「諾楽(なら)の京の越田の池の南の蓼原の里の中の . . . 本文を読む
今日から大山阿夫利神社夏季大祭です 新編相模国風土記稿には大山阿夫利神社の本地は「石尊社。当山の本宮にして山頂にあり 【延喜式神名帳】に載せし、阿部利神社是なり、 祭神鳥石楠船尊、 神躰秘して開扉せず(縁起に載せし往昔彩光を発せし像是なりと云)、 本地十一面観音(坂本村観音寺境内に置)」とあります。 . . . 本文を読む