類聚国史・天長四年828十二月十四日条「清行僧百口を大極殿に屈請して大般若経を転読すること三箇日。地震を停る為なり。」
(この日に遡ること五か月、類聚国史・天長四年七月十二日条には「地大震。多くの舎屋頽す。一日の内、大震一度、小動七八度」とあります。) . . . 本文を読む
史料綜覧巻七 / 応永四年(1397)十二月十四日条
「十四日 彗星ノ出現ニ依リテ 十楽院(注1)ニ大熾盛光法(注2)ヲ修セシメラル 尋デ 義満 室町第ニ尊星王法(注3)ヲ修ス」
(天皇は後小松天皇。当時は少しの天体異常現象でも国家国民を心配して天皇陛下や将軍もすぐに祈祷していたことが分かります。)
(注1)十楽院は、京都府京都市東山区にあった花園天皇の菩提寺。現在の青蓮院の . . . 本文を読む
三代実録 / 貞観十三年(871)十二月十四日乙卯条
「十四日乙卯 陰陽寮言く、 『明年当に天行之災有るべし』と。 又古老言く、『今年、衆くの木冬に華さく 昔此の異あり天下大疫す』と。五畿七道諸国に勅して幣を境内諸神に頒ち、 国分二寺に於いて転経し冥助を仏神に祷り凶札を未萠に銷さしむ。
(十四日、陰陽寮が言うには、明年はまさに天行(流行病)の災いがあるだろうと . . . 本文を読む
「あれほど強く現世はろくなところではない、と思ったおかげで、私はその後、それよりははるかにましな世界を見た。・・拒絶的に冷たく考えていたよりもはるかに人の心は温かかった。・・そして何よりも悪いことばかり常に期待していると、運命は決してそのようにはならないのも皮肉だった。・・(二十一世への手紙・曽野綾子)」 . . . 本文を読む
日本三代實録 貞観十一年「十二月・・・十四日丁酉、使者を伊勢の大神宮に遣はして、幣を奉る。告文に曰く「天皇(清和天皇)が詔旨と、掛畏き伊勢の度会の宇治の五十鈴の河上の下つ磐根に大宮柱広敷立(ひろしきたて)、高天の原に千木(ちぎ)高知(たかしり)て、称言竟奉(たたえごとおへまつ)る天照坐皇大神の広前(ひろまえ)に、恐(かしこ)み恐みも申賜(まおしたま)へと申さく。去ぬる六月以来、大宰府度度言上したら . . . 本文を読む
今日弘仁3年12月14日は高尾山神護寺にて大師が胎蔵結縁灌頂を開壇され、伝教大師・賢栄・泰法・忠栄・泰範・長栄等の高僧二十二人他、沙弥・近事・童子等145人が入壇した日です。灌頂歴名には「弘仁三年十二月十四日 於高尾山寺受胎蔵灌頂人々歴名 都合一百卌五人 之中太僧廿二人、沙弥卅七人、近事卌一人、童子卌五人 太僧衆数廿二人 一僧最澄興福寺宝幢 二僧賢栄元興寺大白明 ・・」とあります。畏れ多いことで . . . 本文を読む