慈雲尊者は、一八〇四年(文化元年)十二月二十二日、八十七歳で京都阿弥陀寺で(世寿87歳,法臈66歳で)遷化され、高貴寺に葬られています。密教事典によると「・・梵学津梁壱千巻を完成、十善法語十二巻を著、雲伝神道も創設された。・・」というまさに超人的な真言僧です。数十年前最初に慈雲尊者に惹かれたのは本屋でふとみつけた十善法語を読むご縁に恵まれたことからでした。その後、木南卓一博士から尊者の著についての . . . 本文を読む
12月22日は大燈国師(宗峰妙超)のお亡くなりになった日です。大燈国師は、弘安5年(1282年)生まれで -、延元2年/建武4年12月22日入滅されています。 師の南浦紹明(大応国師)から印可を得た大燈国師は京都に帰り、乞食の群れに身を投じ、有名な「五条橋下20年の聖胎長養」にはいりました。乞食の吐いたものを平気で食べていたと云います。後、一休や白隠に影響を與え、花園法皇や後醍醐天皇の帰依を受け大 . . . 本文を読む
今日は慶祚阿闍梨御入滅の日以下「真言傳」に依ります。「慶祚阿闍梨は智弁僧正の弟子なり。顕密兼学の碩才なり。大阿闍梨の位にて秘教弘通、化度利生、数年を経たり。或は神呪を誦し或は法華を読むに口より光明を放ち、眼に化佛を礼す。病つきて限りなりけるときまでも後生いかがあらんと頻りに不審せられければ弟子ども是を聞きて臨終正念の為面々不動護摩若しくは供などを行じけり。其の後阿闍梨の云く、此の程いささかも眠ば必 . . . 本文を読む
三代実録 / 貞観十五年(873)十二月廿二日癸丑条
「廿二日癸丑。是より先、大宰府言く、『 去九月廿五日 新羅人卅二人 一隻の船に乗り対馬島岸に漂着す。 島司は使者を差加し府に送り 即ち其身を禁じ鴻臚館に着す。』 是日 勅して曰く、『 新羅人は姦を挾くこと年久しく 兇毒未だ悛ず 疑ふらくは亦た流着之体にて 搆て隙を候の謀 宜しく重ねて搜検を加へ 情状を審覈して早く放帰せしむべし . . . 本文を読む