日本三代實録 貞観十一年
「十二月・・・十四日丁酉、使者を伊勢の大神宮に遣はして、幣を奉る。告文に曰く「天皇(清和天皇)が詔旨と、掛畏き伊勢の度会の宇治の五十鈴の河上の下つ磐根に大宮柱広敷立(ひろしきたて)、高天の原に千木(ちぎ)高知(たかしり)て、称言竟奉(たたえごとおへまつ)る天照坐皇大神の広前(ひろまえ)に、恐(かしこ)み恐みも申賜(まおしたま)へと申さく。去ぬる六月以来、大宰府度度言上したらく『新羅の賊の舟二艘、筑前国の那珂郡の荒津に到来りて豊前国の貢調の船の絹綿を掠奪ひて逃退たり。』又庁樓兵庫等上に、大鳥の怪あるに依りて卜へ求しに、隣国の兵革の事在るべしと卜へ申せり。又肥後国に地震(ない)風水の災有りて、舍宅悉く仆れ顛り、人民多に流れ亡せたり。此の如き之(わざわい)古来より未だ聞かずと、故老等(おきなたち)も申すと言上したり。然間に、陸奥国又常に異なる地震(ない)の災い言上したり((貞観11年5月26日) - 貞観地震のこと)。自余の國國も、又頗る件の災有りと言上したり。伝へ聞く、彼の新羅人は我が日本の國と久き世時より相敵ひ来たり。而るに今、境内に入り来りて、調物を奪ひ取りて、懼れ沮る気無し、其の意況(こころばえ)を量るに、兵寇の萌此自り生るか、我朝久しく軍旅無く専ら警備(いましめ)を忘れたり。兵乱の事、尤も慎み恐るべし。然れども我が日本の朝は所謂神明(かみ)の国なり。神明の助け護り賜はば、何の兵寇か近来るべき。況掛も畏き皇大神は、我朝の大祖(おおみおや)と御座して、食国(おすくに)の天下を照し賜ひ護り賜へり。然れば則ち他国(とつくに)異類の侮(あなどり)を加へ乱(みだり)を致すべき事を、何ぞ聞食て、警(いまし)め賜ひ拒(ふせ)ぎ卻(しぞ)け賜はず在む。故是に、從五位下弘道王、雅楽少允從六位上大中臣朝臣冬名等を以て差使して、礼代(いやじろ)の大幣帛を、忌部神祇少祐從六位下斎部宿禰伯江(はくこう)が弱肩に太襁(ふとだすき)取り懸けて、持ち斎り捧げ持たしめて奉出し給ふ。此狀を平けく聞食て、仮令へ時世の禍乱とて、上の件の寇賊の事在るべき物なりとも、掛けまくも畏き皇大神 国内の諸神達をも唱導き賜ひて、未だ発で向たざる前に、沮拒(ふせ)ぎ排卻(しぞ)け賜へ。若し賊の謀已に熟りて兵船必ず来べく在らば、境内に入れ賜はずして、逐ひ還し漂没せしめ賜ひて、我朝の神国と畏れ憚れ来れる故実を澆(み)だし失ひ賜ふな。此自り外に、仮令、夷俘の造謀反乱の事、中国の刀兵賊難の事、又水旱風雨の事、疫癘飢饉の事に至るまでに、国家の大禍、百姓の深き憂へとも在るべからむをば、皆悉に未然外に払ひ却け鎖滅(ほろぼ)し賜ひて、天下躁驚(さやぐこと)無く、国内平安に鎮め護り救ひ助け賜ひ皇御孫命の御體を、常磐堅磐(ときわにかきわ)に天地日月と共に、夜護昼護(よのまもりひのまもり)に護幸(まもりさきわ)へ矜(めぐ)み奉り給へと、恐み恐みも申賜はくと申す。」
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