紀野 一義師(日本の仏教学者、真如会主催)は 2013年 12月28日91歳で死去されています。わたしも昔谷中の全生庵で師の「清風仏教文化講座」に通い多くの著書を拝読しました。仏教入門者にはうってつけのお話が多くありました。師は東大印哲を途中で学徒動員され不発弾を命がけで千発も処理して復員すると原爆で両親と姉妹が跡形もなく消えていました。また紀野師は、昭和34年には生まれて3日目の赤ちゃんを亡くさ . . . 本文を読む
以下密教大辞典に依ります
「道順、東寺長者、醍醐山主。六条通能の子。醍醐報恩院憲淳の室に入り出家。報恩院に於いて伝法灌頂。元応元年東寺二長者、醍醐第五十七世座主。同年月食を祈りて験を顕す。師は同法法隆とともに憲淳門下の双璧とされる。大覚寺後宇多上皇の法を稟く。元亨元年1321十二月二十八日寂す。付法に隆誉・文海・道祐・弘真あり・・・」
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「続日本紀・神亀五年(728)一二月己丑(28)」「金光明経六十四帙六百四十巻諸国に頒つ。国別に十巻。」
(『金光明経』は,奈良時代には四天王による国家鎮護の教えが説かれる護国の経典として重んじられ,聖武天皇は神亀2年(725)には僧尼をしてこれを転読せしめ,同5年にもこれを書写せしめ諸国に頒かち,転読を行わせている。これに続いて天平13年(741)には「国分寺建 . . . 本文を読む