・・これはすなわちなんらのレフェレンスのない世界である。・・達磨の「少室六門集」中の「血脈論」に「仏を見よう、とするならばとにかく見性をしなくてはならぬ。それはこの性(本性)がすなわち仏であるからだ。もし自分の性を徹見することがなければ仏を念じたり、お経をよんだり、断食をしたり、戒を守っても何の役にもたたぬのだ。仏を念ずればその功徳があるであろう、お経を読めば知的に得をすることもあろう、戒律を守ればその報いとして天に生まれもしよう、布施を行ずればその報いも随って大なることであろう。しかしながらいくらそういうことをやっても仏におめにかかるということを望むならば大きな間違いである。自性に徹底しないかぎりはいくら功徳を積んでも駄目であるから、それにはまず賢き師匠をたのんでそうして生死の命根を断ずることにしなくてはならない。・・三界輪廻の苦を離れるには見性をしなくてはならぬ。・・仏を求めるというならばまず自分の性をみなくてはならぬ。自性すなわち仏である。・・自分の自性を見ようとしないでただ外物を追うて仏をそのうちに見ようとするならば仏は決して手に入る筈はない。・・仏は汝の心そのものである。・・仏がいろいろの世界に現れて来ていろいろなことを教えられたが、究極の目的は自性を見るということである。・・」
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