福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は益信が僧正に補された日

2024-03-02 | 法話

 

「權大僧都益信(昌泰三年900)三月二日任僧正東寺別当法務」(僧綱補任)    

「長者権大僧都益信〈法務〉三月二日任僧正〈七十九〉去寛平三年眞然卒後僧正の補を被らざること十箇年也」(東寺長者補任)

益信は備後一宮吉備津神社の境内地にうまれ、奈良の大安寺で出家、真雅・宗叡に師事。源仁に阿闍梨位灌頂を受く。石清水八幡宮の初代検校・東大寺別当・東寺長者法務。益信は「国師中の国師」と称され、昌泰2年(899年)10月24日、33歳の宇多上皇が仁和寺で出家する際には受戒の師となり同年11月益信は法皇に東大寺で具足戒も授けている。さらに延喜元年12月13日、東寺灌頂院にて、益信は大阿闍梨として法皇に伝法灌頂を授け、継承者とした。延喜年間、法皇の幼少時の養母尚侍藤原淑子が重病となり、宮中に壇を設け加持祈祷を行った。無事平癒した淑子は益信に深く帰依し、「亡夫・右大臣藤原氏宗の菩提供養と、皇祚安泰・万民福利のために」と、洛東椿峯の西麓にある広大な山荘を精舎として円成寺(圓城寺)と号し、ここに第一世開山として益信を迎えた。益信は円成寺僧正として同寺に没した。諡号の「本覚大師」は、没後400年を経た徳治3年(1308年)2月3日に後二条天皇より益信に諡られ、同時に大僧正位も贈られた。広沢流祖。

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