福聚講

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今、世界の宗教は 11

2010-02-08 | 法話
今、世界の宗教は 11

中国系のお寺はなぜ賑やかで暖かい
荒木 重雄

中国文化圏の人々が一年でもっとも心ときめかすお祝いが春節(旧正月)である。今年は2月14日からほぼ7日間が祝日となるが、お祭り気分は半月後の元宵節(春節後最初の満月の夜)まで続く。年画や春聯、獅子舞、爆竹に縁起物の郷土料理と親族・友人の団欒で彩られるこの祝いに込められる願いは、「恭喜発財」(お金が儲かりますように)と交し合う挨拶にみられるように、気取らないおおらかな現世利益である。

中国大陸、香港、台湾から東南アジアの華人社会まで中国文化圏に生きる庶民がもつ信仰は一般に「三教複合宗教」とよばれている。三教とは儒教、道教、仏教をさし、これらが混交・融合したかたちが三教複合宗教である。では、もともと異質な三つの宗教を複合した触媒のはたらきをする原理は何であろうか。各宗教からみていこう。

◇◇孔子や老子が教えたこと

まず儒教である。儒教は創始者・孔子自らが「古の聖王・賢者らの実践した道の総合」というように複雑な教理体系をもつものだが、一言でいえば、「仁」という道徳思想によって己の身を修め、家を整え、国家・世界を治める、すなわち「修身、斉家、治国、平天下」を旨とし、とりわけ「仁」をもって「天命」に従った「治国、平天下」を行うべしとの為政者のあるべき論を説いた政治思想といえよう。

ところが庶民はこれを日常道徳に捉えなおし、孟子が説く「君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」に示されるような価値観として受け入れ、もって一族の結束を固めて「家内の安泰」「家業の繁昌」をめざそうと図ったのである。いってみれば、ほんらいは「治国、平天下」に力点を置いた政治思想としての儒教を換骨奪胎し「斉家」のレベルにおいて庶民の人生訓、処世術として広く定着させたのである。
 
◇◇無欲無心で長生きしよう

次なる道教はさらに複雑であるが、道教には二つの要素が結び合っているといわれている。ひとつは、中国に古来からあった不老長寿や招福・除災の目的に宇宙の諸力や法則を利用しようとする民間信仰で、易、陰陽、五行、天文、占星術の類の占い・呪いである。これはその目的からすれば民間信仰というより〝もうひとつの科学技術〟とでもいったほうが妥当かもしれない。

もう一方は老子にはじまり荘子に受け継がれた「老荘の学」である。これは、宇宙の根本原理として「道」というものを措定し、この「道」から宇宙の万物は派生するとして、人間もこの「道」から生まれたものであるから自我やはからいを捨てて無為自然となって「道」に従うべきで、そのようにすれば理想社会が実現するとする政治思想である。その説くところは無欲・無心や、何物にも囚われない「虚無恬坦」、作為を加えぬことをよしとする「無為清浄」、己の分をわきまえる「謙遜保身」、そして運命に逆らわずやりすごすことを身上とする生き方である。 

これらの思想も庶民には、抗争や変転の激しいこの世を生きぬき繁栄するための人生訓、処世術として受け入れられていった。また、宇宙の根本原理たる「道」に合一するならば天地と同じように長生きできるはずとする、長寿願望を満たす養生法ともなったのである。

◇◇現世利益こそ庶民の宗教

さて、ここまでみれば、三教を統合する原理は明らかであろう。家内安泰、家業繁昌、不老長寿など現世利益を達成するための人生訓、処世術、占い・呪い、養生法こそが、庶民が宗教に求めるものである。したがって、仏教においても、庶民の信仰を集めるのは、現世利益や衆生救済にかかわりの深い観音や地蔵など大乗系の諸菩薩である。
 
この原理のゆえに、中国文化圏の宗教施設では、儒教の廟でも、道教の観でも、仏教の寺院でも、区別なく、孔子・孟子など儒教系聖人像、玉皇上帝・関帝・媽祖・土地神など道教系神像、そして観音・地蔵など仏像が共に並んで祀られているのである。
 
もちろん中国文化圏にも一途に涅槃・解脱を求める出家僧や在家信徒がいる。刻苦・修業に勤しむ学僧もいる。しかし多くの庶民にとっては、宗教に求めるものは招福・除災・長寿祈願の現世利益であり、しかもそのことをなんの衒いも臆面もなくおおらかに放散しているところに中国文化圏の宗教の特徴があろう。

この地域の仏寺や道観を訪れてみると、そこに寄り集う善男善女の群のかぎりない現世肯定の逞しさと同時に、日々の生活を営むものへのいとおしさがほのぼのと胸に迫り、また、そうした庶民の祈りを受け入れ安らぎ与える寺院や観の心配りのある施設や雰囲気に暖かさを感じるのである。

日本の仏教寺院にも、現世利益大いに結構とするおおらかさと、庶民の願いをやさしく包む施設・雰囲気の工夫が、もうひとつあってもいいのではないかと思えるのである。
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