今日はお大師様が聖徳太子の御廟に参篭され菩薩の三位(発光地)を得られた日
『聖徳太子傳私集記』 の下の帖 に、
「弘法大師、太子御廟恭詣 弘仁元年庚寅(811)三月十一日より恭籠百个日(或説云高貴寺御住所より毎日御恭百个日云々)。第九十六日六月十六日夜、御廟崛内に一揮手半の光明輪現給ふ。其光中に阿彌陀三尊現じ般若理趣分を誦す 次に法華・勝鬘・維摩を誦す 見佛聞法の功徳により第三定を得給ふ云々」
『高野大師行状圖書』の第四に、
大師上宮御廟恭詣事
嵯峨天皇の御宇 。弘仁元年。大師河内の國の靈處に道場を立て籠り居給 ひしか百ケ日をかきりて聖徳太子の御廟にまふて給ひぬ。 其九十六日と云ける夜。 御廟の前にて懇に法施し給ひし に、いと夜更て後、大般若の理趣分を誦する者有。 其聲たへなる事いはむかたなし。大師祈念しての給はく「此微妙の聲は。誰人のなす處そや。願くハ我に示し給へ」とありしかば、 廟窟の前に光明を現しつ ゝ。 光りの中に聲有て云く。「我は救世觀音の垂迹也。衆生を利 せんために、安養世界を捨て、此穢土に來る。我母后は本師彌陀如來の化身 。我后は大勢 至菩薩の垂迹なり。三尊契を結て三骨を一廟に納む。 守屋が邪見をくだき、佛法の威徳を顯し、四十六所に伽藍を立て一千三百餘人の僧尼を化度せり。断悪修善の道、漸くみち漁と 示し。 勝鬘 等 の大 乗 の要文 を説 給 ひけ れ ハ。 大師殊に觀喜し給ひて、我 今まのあたり見佛聞法のちからによつて、第三發光地(注)を證すとその給ひし。
大 師を三地の菩薩と申事、唐朝にても有けれとも、ミつからの給ひける事は此時成けり。」
(注、発光地は菩薩十地のうちの三位で
忍辱波羅蜜を成就して修惑を断じ、諦察法忍を得て智慧を顕発する位。精進の結果、その功徳として光を放ち十種の法明門を行うもの。大師の本地はもともと菩薩三位とされるので元の本地を証せられたということでしょう。
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