福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の5/9

2024-06-16 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の5/9

五、武蔵介用方靈感を蒙る事。(今昔物語巻十七紀用方仕地蔵菩薩蒙利益語 第二にもあり)

故尾張前司入道の家に武蔵介用方と云ふ侍一人あり。件の俗元来武芸を先として久しく不善を行ふといへども、地蔵菩薩を信じ奉り毎月十八日と廿四日には酒肉を断ち女色を侵さず、偏に地蔵を念じ奉り常に持斎を嗜みて勤行を至しける。或は瞋恚雑言等の中にも地蔵の名号を相交へて唱へ奉ること凢そ止まず。且亦母の報恩の為とて身命を惜しまず財宝をも捨離て骨髄をくだき一向専修の行人なり。爰に忠實坊とて聖侍り。平生地蔵の悲願をたのみ名号口唱不断ありしが、或夜の夢に金色の地蔵に値遇し侍る。彼の地蔵の曰、吾明日の暁六角東洞院に於いて必ず亦行合べきなり。豈異人ならん乎、我身是也との玉ふて覚(さめ)ぬ。聖心中に喜悦をなして即ち未明に彼の小路へ教の随にぞ行向けるが俗一人行値(ゆきあひ)けり。聖急ぎ走り寄りて礼拝恭敬す。彼の俗、大に怪み思て何なれば如是し玉ふぞと云へば忠實いはく、昨日の夜如是の瑞夢ありとて委曲にぞ語りける。用方心中に思念すらく吾日比(ひごろ)散乱心をも憚ることなく地蔵尊を念じ奉る故に如是の不軽の行に値奉る事の有難さよと心肝徹りてぞ覚さて聖に向て我が身薄地底下の身礼を受くべきやうなし、

唯能慈仁の心即ち佛心なれば誰を指して亦凢夫心とも云ふべからず。されども今の瑞夢の事我生平此の尊に皈依し幷に母の孝養為に持齋して名号を称念す。此の軽薄の善の佛心に通ずるにや。往昔地蔵菩薩の本願に、若し母の教に順ふもの有らば皆是地蔵の身なりと説き玉へり。是同体の慈悲一如の孝養悉く一理にして差別あることなし。至誠の心深ければ感じて遂に通ず。是の心即ち地蔵と同じ、心身不二なれば此の身も亦同じ。されども行信不測にしては驕慢のやからなれば所詮俗家を出て同躰の悲願叶ひ奉らんと即時に剃髪して柴の戸を閉じ人生の虚なることを観じ不変常住の月を玩吟して一向の行者となりしが遂に正念住して眠如く終りけるが異香室に涌、瑞雲屋を覆けるとなん往生浄土の引導疑いなき者乎。

 

 

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