第五節 君臣は道の中核なり
道と言へば何事にでも筋目のあるとことは之を実行する時にみな「道」と名つ゛け得る。しかし國家といふものに結び付けない時はてんでん勝手な発達をとげて・・混乱を生む因となって世の中は乱れる。之を救ひ正すべく「集中力」と「制裁力」を設定したのが「國」である・・ゆえにあらゆる道徳の括りを國家的に仕立ててこれを事業化したのが、日本君臣道の妙所である。
第六節 上下同宗の君臣道
一口に君臣といふが、それとてもその國國において「君」と「民」との存在が別段確たる理由がないとすればその対立はむしろ煩ひである。・・日本以外の国々はたしかにこの煩ひに悩んでいたのである。故に自然の趨勢として『民主思想』の勃興を来した次第、これはありそうな事である。
世界の中に唯一つ日本だけがこの君臣関係に於いて何でもかでも両存相立しておらねばならぬ仔細があって、「君」は「民」を要し、「民」は「君」を要し、相互にその対手によりての存立を保つといふ妙組織は人造で出来たものではない。所謂天祖授國の開宗垂統によって固められ成し遂げられた神國であるからの事、これ先天の忠孝國、天地人を一貫した霊的組織の妙國、人間の世界に於いては先ずもってかけはなれた特異の國柄であることを知るべきである。
人間の整理をするのに國家といふ団体の「力」で括って、その「力」の中に奥深い力の『道』といふものがあって、その「道」を目安に人間の一切をまとめて行かうといふ、その力の執柄者として「君主」を立て、その力の普及者として「國民」を有して居る、この「道の國」日本がその君と民とを一層有効に一艘厳正に組織したのが「君臣道」である。「民」といふやや原始的なものが「臣」といふ道義的のものに仕立てたので、君民といふよりは君臣といふことになってその「民」が一層深く徹底してくる。この徹底した「民」に対する時はその「君」がまた一層厳格になってくる。ここにおいてその「君」も「民」も悉く『天業』といふ一大事業の遂行者であって、事業の遂行といふことが一種の重い道徳となって来た。その道徳が「君」にあっては「王道」といはれ「臣民」」にあっては「忠孝」といはれるのである。即ち
「自ら忠孝を行って國家を忠孝化し、及ぼして世界人類をこの道に救いとるのが日本國民の忠孝、即ち民の天業。」
といふことになる。又これを帝室に約して言へば、民に忠孝を行はしめんためみずから率先して忠孝を行ふ、それが國家的に発揮する様に行ふ。即ち皇祖皇宗を祀る仕事が忠孝の精神的表現であってそのとおりの心を民に及ぼし人に及ぼし、物に及ぼして、天地を忠孝化し、人類を忠孝化する仕事が『王道』である。君主が行うとき「王道」といひ、民がその王道に服するとき「忠孝」となって内容は一つである。これを総称して「君臣道」といふのである。
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