福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は小田原聖教懐上人御入滅の日

2024-05-27 | 法話

高野山往生伝「沙門教懐は京兆の人也。幼日出家、興福寺に住す。壮年寺を離れ、小田原(山城国久世郡)に住す。故に俗に呼んで、小田原迎接房聖と曰ふ矣。其の後高野山に移住、已後二十四年、毎日所作両界修練、弥陀行法、大佛頂陀羅尼を受持し、阿弥陀を誦念す。自余の行業は人の知る所に非ず。而して寛治七年五月二十七日、篤癃に非ずと雖も、聊か小悩あり。其の明旦手ら不動尊像数百体を模写し即ち以て開眼供養す。漸く巳刻に及び衆僧相勧、異口同音に念佛す。右脇西面、寂然として気絶す。時に春秋九十三。徳行の力、兼ねて死期を知る歟。入滅の日傍らに瑞相あり。彼の日申の刻、奇雲俄かに覆ひ室内暗し。時刻数多、日景更に晴れ、又皆黒に及ぶ。院内僧延寶・快暹各住房に在りて遥かに天楽を聞く。即ち諸房に往き之を告ぐ。衆人或は分明に音を聞き、或は髣髴耳を傾く。漸、後夜に臨み、亦た楽音有り。其の曲、稍遠く西を指して去る。屡此の瑞有りと雖も慥かにその人と知り難し。而して維範阿闍梨の逝去の夕、慶念上人の夢に無量の聖衆、闍梨を来迎しその中に教懐上人雲に乗りて来る云々。若し往生人にあらざる者豈に聖衆の中に列せん乎。元暦元年四月の比、予、高野に参篭、彼の上人の聖跡を訪ひ小田原別所に攀到す。古老の住僧出来、相談して云ふ、彼の教懐上人、厳親の相公(失名)、讃州剌使と為る間、犯科人を召し苛酷の責を加ふ。彼の上人、童稚の幼齢なりと雖も施すに憐愍の芳志を以てす。然れども猶霜刑に堪へず已に露命を失ふ。即ち悪霊と為り深く怨念を結ぶ。之に因りて相公の子孫皆以て夭亡す。教懐一人わずかに命を存すと雖も其の霊、未だ謝せず。咎祟を屡示す。仍って山城に避れ、當山に移住し猶ほ斯の所を小田原と称す。平生の草庵其の跡尚存す。彼の真影を図して此の堂舎に安ず。見る者涙を咽ひ、聴く人腸を断ず。予、来縁を結んが為専ら今影を禮し画図すること旧の如し。形貌新の如し。其の舌頗る垂る。其の眼、瞬く如し。右方に首を傾け、安座して滅を唱ふ体也。袈裟緒付護佛に結び紙を以て之を裏し上下之を捻ず。

近辺の住僧来たり談じて云ふ、上人は彼の怨家を怖る。斯の霊地の住

して後も其の霊猶現る。之を黒法と号し、此の護りを持するに依りて永く其の事絶へ、臨終正念遂に以て往生す。誠に知りぬ。佛界、魔界と一如無二矣。

 

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