日本の仏教では禅は大智の面、浄土教は大悲の面を代表するといってよからうと思います。
浄土系信者の一類型と見るべきものに,讃岐の庄松がある。或る時庄松は近村の男とお寺へ参詣したとき、庄松は本堂へ這入ると直ぐ、本尊阿弥陀様の前で横に寝てしまった。友人はそれをみて『如何にも不作法ではないか』と咎めたところ、庄松は『親の内へ帰ったのだ、何の遠慮にも及ばないではないか』といったという。・・庄松が京都の本山へ同行と一緒にお参りをして、その帰りに播磨灘で大暴風雨になり船はいつ転覆するか分らない状態となった、(一同は大騒ぎとなり、同行も寝ている庄松を起こしたら)庄松は「ここはまだ娑婆か」といったと云います。庄松の生きていた世界はどこであったか。浄土でも娑婆でも、華厳の法界でも諸行無常の浮世でもなかったらしい気がする。かれは自分自身の霊性的直覚の世界に住んでいたのである。これは、浄土であるかと思へば娑婆で、娑婆かと思ったら浄土であるといふべき不思議なものだといはなければなりませぬ。旅に病んだ庄松は籠にのせられて家に帰ってきた。同行が「これで家に帰ってきたので安心するがよい」といわれると、庄松曰く「どこにいても寝ているところが極楽の次の間だ」。・・人に後生の一大事はと聞かれて「それはわしの知ったことでない。阿弥陀さまにまかしておけばよい」と云ったと云います。また「耶蘇教がだんだん入ってきて困ったものだ」といふ人の在るのを聞いて「凡夫が仏になる以上の事はこないぞ」と答えています。
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