福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

昨日、2か月ぶりに高野山参拝をしてきました(追加修正)

2017-09-07 | 頂いた現実の霊験
昨日、2か月ぶりに高野山参拝をしてきました。いままで何十回参拝したかわかりませんが高野山はその都度、新鮮です。丁度お経を毎日読んでいてもその都度新鮮なようなものです。今回もいくつものお諭しや発見がありました。
天候も前日までの雨の予想にもかかわらず薄曇りで無風の絶好のお参り日和になりました。風が強いとローソクやお線香が付けられないのです。いつものように未明に起きて沐浴し一の橋から参道にはいります。自分の下駄の音だけが杉木立の闇にこだまします。両側の灯篭の光に導かれていきますが、今回はどこまでも続く闇の参道が自分の心の奥底に下っていく気がしてなりませんでした。意識の下に末那識・阿頼耶識がありますがそういう深層意識まで下っていく感覚です。こういう気持ちは初めてです。最近意味もなくイライラが募ったりするとこがあったのでそういう気持ちになったのかもしれません。じぶんの心も奥深く迄無限の前世からのこういう闇がどこまでも続いているのだと思います。しかし両側の灯篭のかすかな光が参道を照らしてみちびいてくれているように、心も御大師様のお導きで闇から救われていくのだろうと思います。参道も最後は御廟に着きますから、これが阿摩羅識という仏性になるのかもしれません。

山頭火は「分け入っても 分け入っても 青い山」と詠みましたが、当方は「分け入っても わけ行っても あおい闇」というところでしょうか。漆黒ではなく、御大師様に導かれて御廟という「阿摩羅識」を目指しているから「青い闇」となるのです。

 御廟では正面にはご婦人が熱心にお参りされていましたのでずっと離れて土下座して理趣経を読みました。やはり土下座すると気持ちが落ち着きます。四国八十八所も土下座して回ったことを思い出します。帰りはもう明るくなってきましたが、師僧と兄弟子の墓を掃除しお水とお線香をあげ、さらに自家の墓にも参りました。

今回は時間があるので、一旦宿にかえり朝食後再度御廟にお参りしました。こんどは参道でガイドの男性が、団参の方々に説明している言葉が耳に入りました。高野山にお墓がある有名人のことを説明しているらしく「・・東武鉄道の根津社長もここにお墓があります。御大師様を信仰しており、その縁でスカイツリーは高野槙の形になっています」といっているのが聞こえました。(帰って調べてみると、根津財閥創始者の根津嘉一郎は大正6年赤字の高野登山鉄道を買い取り、河内長野から高野下まで一気に路線を延長し高野山に日帰りで参詣できるようにし黒字転換をしたようです。後に南海電鉄からの申し出で現在の南海電鉄高野線となりました。根津は大寺院を建立して世相を導こうとしていたということがインターネットに書いてありました。)

御廟では今度は開いている灯篭堂に上がり拝ませていただきましたが、やっと最近の心得違いに気が付きました。いままで無数のお陰をいただきながら、すこしでも意に染まないことがおきると不満を持っていたのです。「思うこと一つ叶えば又二つ三つ四つ五つ六つかしの世や」とはまさにじぶんの事だったのだと気が付きました。今迄の深いご恩に報いることを考えないで次々とお願いばかりをしていたのです。そんな低下の自分を何度も何度もお助けいただいて本当に本当に申し訳ない事であったと思いました。そしてこれからはすこしずつでも御恩返しをしていくことだと心から思い定めました。大きなことはできなくても身の回りに少しずつでも御恩返しをしていこうと決心した次第です。帰りの車窓からは晴れ上がった空がみえました。
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