仏様は待っている
今回は今まで祈ってきた事が全て叶いましたので、皆様にご報告をしたいと思います。
私の苦しみが始まったのはちょうど20年くらい前からだと思います。仏様に出会えてなかった10年は本当に苦しくどこにも出口はないものかと希望すら失っていました。
近くのお寺に行き、私は一人で祈り続けて一年後、高原和尚様に出会いました。
最初の頃は、祈り続け結果が出て状況が良くなるかと思えばひっくり返される、本当に修行だったと思います。
私はお不動様に祈り続けていましたが、いつも厳しく胸の張り裂ける思いで祈ってまいりました。
そして、これまでも何回か皆様にご報告させていただきましたように、悪化していた状況は少しずつでしたが好転していき、私は最後に願をかけました。その願は、先祖供養の為、父の父(つまり私の祖父)のお墓を見つけることでした。
しかし探そうにも手だてがありません。位牌すらどこにあるのかわかりません。祖父がどうしても見つけてほしいと、私にお願いしているようで祈ってみても、本当に手がかりすらつかめない日々でした。
今年の2月、祖父の妹に会いにいきました。しかし、高齢のためはなすのもやっとです。入所している老人ホームの方に、息子さんの連絡先を聞き帰る事しかできませんでした。私の実家は福岡なので遠くて、すぐに探しに行くこともできず、うなだれて帰省したのでした。
祖父は戦死しています。どうしても息子のところへ帰りたいのではないかと私は思いました。
お盆には帰らせてあげたいとお寺で祈っていました。しかし、お盆には何もおこりませんでした。ああ、今年も帰れないのか、とがっかりしていました。でも、きっと祖父の御位牌は帰すぞという強い気持ちがありました。
その10日後くらいだったと思います。父から、(祖父の)妹の息子さん(つまり父の従兄弟)に会いましょうと言われのたので会ってくるよ、という連絡が入りました。
それから、私が想像もしてなかったほどすごいことがおきました。
父が、その息子さんに会いにいくと、初めて会ったにも関わらず大歓迎でごちそうを作って待っていてくれたそうです。そして、見つからなかった位牌は、その方が持っていてくだいました。位牌はお寺にあり、位牌を譲る儀式をしていただいたそうです。さらに、祖父の母の位牌も譲り受けることができました。
私は本当に本当に驚いてしまいました。
父方の家庭は複雑だったため、父も初めて従兄弟に会えたと大変喜んでいました。
父はこう言いました。
「京子、父親とおばあちゃんは喜んでいるかな?」と
私が
「やっと御位牌が息子のところに戻れたんだよ。他人のところだと肩身も狭いでしょ。きっとこれからはのびのびできると喜んでおられるよ。」というと、
父は
「京子が探してくれと言わなければきっと探す事も、従兄弟たちと会える事もなかったよ。本当にありがとう。」と言いました。
今まで信仰心など全くないと何十年も頑に言い続けた父が、供養するためには何が必要かと聞いてきます。
私の家庭がおかしくなり高原和尚様に相談したとき、和尚様は「もっと何代から何かあると思う」と言われたことを思い出します。
一つずつ少しずつ複雑な家庭問題が解決していきました。
そして夏の福聚講の会以後、お蔭がバタバタと出たのです。
たぶん、10年くらい祈っていたと思います。
もうダメだ、やめよう、苦しいだけじゃないかと心折れそうになった日々、そういうことが何度もありました。
だんだん祈っていくうちに自分が変わっていきます。
その心の成長を仏様は待っておられるのだと私は思います。
そして、それこそが修行であり信仰だと思います。お蔭の出る時は決まって「執着」がとれたときです。そういう時に限って願いは叶います。
そうはいっても信じていくのがつらい時があります。
ただ、今、自分が実感し体験してみて、仏様のお蔭は必ず有ると言い切れます。
私のような不肖の信者でも見捨てず、時に厳しく時に全力の愛で支えてくださった不動明王様、先祖からの阿弥陀如来様、護国寺の如意輪観音様、大変ありがとうございました。
いつも励まし続けていただいた高原和尚様、和尚様なしではここまで祈り続ける事はできませんでした。
福聚講の皆様、温かい励ましをいつもありがとうございます。
私の拙い文章を読んでくださいましたブログ読者の皆様、本当にありがとうございました。
私は最後に思います。「あきらめなくて良かった」
長い間ありがとうございました。
皆様の願いも叶うようお祈り申し上げます。
松田京子
今回は今まで祈ってきた事が全て叶いましたので、皆様にご報告をしたいと思います。
私の苦しみが始まったのはちょうど20年くらい前からだと思います。仏様に出会えてなかった10年は本当に苦しくどこにも出口はないものかと希望すら失っていました。
近くのお寺に行き、私は一人で祈り続けて一年後、高原和尚様に出会いました。
最初の頃は、祈り続け結果が出て状況が良くなるかと思えばひっくり返される、本当に修行だったと思います。
私はお不動様に祈り続けていましたが、いつも厳しく胸の張り裂ける思いで祈ってまいりました。
そして、これまでも何回か皆様にご報告させていただきましたように、悪化していた状況は少しずつでしたが好転していき、私は最後に願をかけました。その願は、先祖供養の為、父の父(つまり私の祖父)のお墓を見つけることでした。
しかし探そうにも手だてがありません。位牌すらどこにあるのかわかりません。祖父がどうしても見つけてほしいと、私にお願いしているようで祈ってみても、本当に手がかりすらつかめない日々でした。
今年の2月、祖父の妹に会いにいきました。しかし、高齢のためはなすのもやっとです。入所している老人ホームの方に、息子さんの連絡先を聞き帰る事しかできませんでした。私の実家は福岡なので遠くて、すぐに探しに行くこともできず、うなだれて帰省したのでした。
祖父は戦死しています。どうしても息子のところへ帰りたいのではないかと私は思いました。
お盆には帰らせてあげたいとお寺で祈っていました。しかし、お盆には何もおこりませんでした。ああ、今年も帰れないのか、とがっかりしていました。でも、きっと祖父の御位牌は帰すぞという強い気持ちがありました。
その10日後くらいだったと思います。父から、(祖父の)妹の息子さん(つまり父の従兄弟)に会いましょうと言われのたので会ってくるよ、という連絡が入りました。
それから、私が想像もしてなかったほどすごいことがおきました。
父が、その息子さんに会いにいくと、初めて会ったにも関わらず大歓迎でごちそうを作って待っていてくれたそうです。そして、見つからなかった位牌は、その方が持っていてくだいました。位牌はお寺にあり、位牌を譲る儀式をしていただいたそうです。さらに、祖父の母の位牌も譲り受けることができました。
私は本当に本当に驚いてしまいました。
父方の家庭は複雑だったため、父も初めて従兄弟に会えたと大変喜んでいました。
父はこう言いました。
「京子、父親とおばあちゃんは喜んでいるかな?」と
私が
「やっと御位牌が息子のところに戻れたんだよ。他人のところだと肩身も狭いでしょ。きっとこれからはのびのびできると喜んでおられるよ。」というと、
父は
「京子が探してくれと言わなければきっと探す事も、従兄弟たちと会える事もなかったよ。本当にありがとう。」と言いました。
今まで信仰心など全くないと何十年も頑に言い続けた父が、供養するためには何が必要かと聞いてきます。
私の家庭がおかしくなり高原和尚様に相談したとき、和尚様は「もっと何代から何かあると思う」と言われたことを思い出します。
一つずつ少しずつ複雑な家庭問題が解決していきました。
そして夏の福聚講の会以後、お蔭がバタバタと出たのです。
たぶん、10年くらい祈っていたと思います。
もうダメだ、やめよう、苦しいだけじゃないかと心折れそうになった日々、そういうことが何度もありました。
だんだん祈っていくうちに自分が変わっていきます。
その心の成長を仏様は待っておられるのだと私は思います。
そして、それこそが修行であり信仰だと思います。お蔭の出る時は決まって「執着」がとれたときです。そういう時に限って願いは叶います。
そうはいっても信じていくのがつらい時があります。
ただ、今、自分が実感し体験してみて、仏様のお蔭は必ず有ると言い切れます。
私のような不肖の信者でも見捨てず、時に厳しく時に全力の愛で支えてくださった不動明王様、先祖からの阿弥陀如来様、護国寺の如意輪観音様、大変ありがとうございました。
いつも励まし続けていただいた高原和尚様、和尚様なしではここまで祈り続ける事はできませんでした。
福聚講の皆様、温かい励ましをいつもありがとうございます。
私の拙い文章を読んでくださいましたブログ読者の皆様、本当にありがとうございました。
私は最後に思います。「あきらめなくて良かった」
長い間ありがとうございました。
皆様の願いも叶うようお祈り申し上げます。
松田京子