福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大智度論・・17

2019-11-21 | 諸経
(大智度論釋初品中戒相義第二十二之一)(六斎日の意味)

問曰「何以故。六齋日に八戒を受けて福徳を修すや」。答曰「是日は惡鬼、人を遂て人命を奪んと欲し、疾病凶衰人をして不吉ならしむ。是故に劫初の聖人、人に教へて持齋修善作福して以って凶衰を避けしむ。是時
の齋法は八戒を受けず。直に一日不食を以て齋となす。後に佛出世して之に教語って言はく、『汝當に一日一夜諸佛の如く八戒を持し過中不食なるべし。是の功徳は將に人を涅槃に至らしむ。『四天王経』中に仏の説きたまえるが如し。(『佛説四天王経』に「諸天齋日伺人善惡。須彌山上即第二忉利天。天帝名因。福徳巍巍典主四天。四天神王即因四鎭王也。各理一方。常以月八日。遣使者下案行天下。伺察帝王臣民龍鬼蜎蜚蚑行蠕動之類心念口言身行善惡。十四日遣太子下。十五日四天王自下。二十三日使者復下。二十九日太子復下。三十日四王復自下。」)月の六斎日には、使者、太子、及び四天王、自ら下りて、衆生を観察し、布施、持戒、父母に孝順なることの少なければ、便ち忉利に上りて、以って帝釈に啓(もう)す。帝釈、諸天の心、皆悦ばずして言わく『阿修羅の種は多く諸天の種は少なし』と。若し布施、持戒、父母に孝順なること多ければ、諸天、帝釈の心は皆歓喜し、よろこんで、言わく、『天衆を増益し、阿修羅を減損せり』と。


是時、釋提婆那民(帝釈天)は諸天歡喜するを見て。此の偈を説て言く
「神足月(正月・五月・九月、これらの月は、諸天が神足を以って四天下に巡行するが故に神足月と曰う)六日に清淨戒を受持す
是人は壽終後 功徳必ず我が如し」
佛諸比丘につげたまはく「釋提桓因(帝釈天)は應に如是の偈を説くべからず。所以者。釋提桓因は三衰三毒を未だ除かず。云何んが妄りに『一日の戒を持すれば功徳福報必ず我が如くなるを得ん』と言はんや。若し此戒を受持すれば必ず應に佛のごとくなるべし。是則ち實説なり。諸大尊天(帝釈天)は歡喜の因縁の故に福増す多きを得る。復次に此の六齋日は惡鬼人を害
し一切を惱亂す。若し所在の丘聚・郡縣・國邑に持齋・受戒・行善の人あらば此の因縁を以て惡鬼遠く去り住處安隱なり。是故を以て六日に持齋・受戒すれば福をうること増す多し。
問曰「何以故に諸惡鬼神輩は此六日を以て人を惱害
するや」。答曰「天地本起經に説く。劫初成の時、異なる梵天王子あり。諸鬼神の父たり。梵志(婆羅門)の苦行を修して天上十二歳に満つ。此六日において割肉出血し以って火中に著す。是をもっての故に諸惡鬼神は此六日においてすなわち勢力あり」。問曰「諸
鬼神父は何を以ってか此六日において割身肉血以著火中なるや」。答曰「諸神中、摩醯首羅神(まけいしゅらしん・大自在天)を最大第一となす。諸神は皆な日分あり。摩醯首羅は一月に四日の分あり。八日
二十三日十四日二十九日なり。餘の神は一月に二
日の分あり。月の一日十六日と月の二日十七日なり。其の十五日三十日は一切の神に属す。摩醯首羅は諸神の主なり。又日多きことを得るが故に其の四日を数えて齋となす。二日は是れ一切諸神の日にして亦た數へて以って齋となす。是故に諸鬼神は此六日において
輒だ力勢あり。
復次に諸鬼神父は此六日において割肉出血以著
火中。十二歳を過ぎ已って天王來り下って其の子に語って言はく「汝、何の願をか求む」と。答言「我子有んことを求む」。天王言「仙人の供養法は燒香甘果の諸清淨事を以てす。汝云何んが肉血を以て火中に著し罪惡法の如くなし、汝善法を破って樂んで惡事をなすや。汝をして惡子を生み肉を噉ひ飮血せしめん」と。當に説く。是時に火中に八大鬼ありて出つ゛。身の黒きこと墨の如く髮は黄に眼は赤く大光明を発す。一切鬼神皆此八鬼より生ず。以是故に此の六日において割身肉血以って火中に著し勢力を得る。佛法中の如きは日に好惡なし。世の惡日の因縁に随ふ故に持齋受八戒を教ゆるのみ。
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