福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その81

2019-11-21 | 十善戒
又律蔵に。昔世尊。蘇羅婆國に遊び。大比丘衆五百人と共に毘蘭若國に至る。此処に毘蘭若婆羅門と云者有て。佛と五百羅漢とを一夏九旬の供養に請じ奉る。佛の常法黙然として請を受たまふ。婆羅門がその夜の夢に。七重の白氎(びゃくじょう)。城を囲繞すると見る。博士を呼て占しむ。此博士固より外道を信じ佛法を嫉む。正く福徳の相と知りながら。詐り告ぐ。此は大悪夢なり。若は強敵きて國をうばうふべきか。又自ら身命の終る相なるべしと。婆羅門怖て問。免るヽに術ありや否や。博士答ふ。其術あり。今より深宮の中に在て。一向外人に対面なく。言語なく。唯侍女と共に一夏九旬満ぜば。此さい(うかんむりに火)免るべしと。婆羅門此語を受て。宮中に入て唯五欲の樂を受て。一向世尊を供養じ奉ることを忘る。

そのとき飢饉にて。外に供養の人なし。唯邊國の馬を売る者来て。馬麦を佛と大衆に供養す。佛もその馬麦を食す。大衆も此馬麦ばかりを食せしに由て。日々に痩せ衰ふ。其時目連尊者世尊に白す。我北拘盧州に往て自然の秔米を取来るか。若は忉利天上に往て天の甘露を取来て。佛及大衆に供養し奉べしと。世尊のたまふ。今は汝が如き神通力ある者少からねば。我北拘盧州の秔米も。天井の甘露も。とり来るべし。末世に至て神通力なき者をいかがすべきぞ。目連此教戒を受け。言なくして退く。次に阿難尊者佛処に往きて白す。此夏世尊も艱難に処す。大衆も艱難に堪ず。使者を迦維羅衛城に馳て親族の者に供養を営ませ。彼等に福禄を與へ。大衆も安楽に道業を修せしめんと。佛告げたかふ。我等は親族有り。供養を営ましむること易し。末世親族なき比丘をいかがすべきと。次にまた阿難尊者請ず。摩竭陀國の頻婆遮羅王。或は舎衛城の浪斯匿王。若は須達長者等に使を馳て供養を受くべしと。佛云。今は信心帰依の人あれば。其供養饒なり。末世帰依徒のなき比丘はいかがすべきぞ。阿難此教敇を受。言なくして退く。


如是世尊も大衆も馬麦をを食し。泰然として夏を満ず。此因縁に由て毘蘭若國婆羅門も。夏竟に過を悔い。信心増長すと。かうじゃ。これを正く末世無福の弟子の為の正軌即と名ずく。具に思惟して看よ。甚深なることじゃ。富貴栄耀なれば。富貴栄耀の中に其法現ずる。貧賤困窮なれば。貧賤困窮の中に其法現ずる。世間には富貴と貧賤との別あれども。自己心中は唯一法のみじゃ。外典に。孔子の陳蔡の間に厄せしとき。門弟子と共に琴を鼓して。孔子曰く、兕(じ)に匪ず虎に匪ず。彼の曠野に率ふ。吾が道非なるかと。(論語衛靈公第十五に「予、一を以てこれを貫ぬかむ。孔子弟子に慍心有るを知り、乃ち子路を召(よ)びて問ひて曰く、『詩に雲(い:云)ふ。『兕(じ:犀)に匪(あら)ず虎に匪ず、彼の曠野に率(したが)ふと(詩の小雅、何草不黄篇の一節。)・・』
これも俗中君子の艱難に処する規則と云べきじゃ。
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