福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仏教大原理(釈雲照)・・その18

2022-09-18 | 法話

Q,凡そ世の人、人の品性を論ずるに教育・遺伝・習慣の三者より成るということはこれ真理なるべし。然るに世間には往往にして生まれながらに智者・賢者ありてその先祖の遺伝もなく教育も受けられずしてしかも生まれながらに智者あり。これは教育・遺伝・習慣の三者よりなったものではない。そうするとこの子は結果のみありて原因なしというべきであろうか?舜帝のごとき(継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は舜を殺そうとしたが舜は親孝行を貫いた)、上宮太子のごとき(仏教初期にして父祖から仏教を尊ぶ遺伝なきときでも仏の教えを尊んだ)これなり。またこれに反し父祖歴世みな叡明なるに偶々非情の男児を生ずることあり。これまた遺伝・習慣等の外に逸するものというべし。また世間には善因悪果、悪因善果のものあり、こういう例を見るに仏教でいう因果の法則は果たしてアリや?

A、世界万物は仏界より地獄界に至るまで、十方法界一事一物として原因結果の定則に漏れたるものなし。父祖歴世みな叡明なるに偶々非情の男児を生ずるは過去世においてこの因を植え付けたることあるなり。その子、教育すれどもその悪を変ずること能わざるは、これまた宿世において不良のことを習慣にせし原因のいたすところなり。
また善子にして短命なるあり、悪子にして長命なるあり、愚にして福徳を備えたるあり、智にして貧困なるあり。これその不良はかって無量生の以前より智をみがかざるのみならず、他の学識を妨げ或は智者を欺き誣ひたる原因の招くところなり。その生まれながら福徳を備えたるはかって無量生の以前に最も強き善心をもって他に財宝を施したることある福業の原因の招くところなりとしるべし。智にして貧なるは、かって他の財産を貪り、己が財を惜しみし貪欲の原因業のなすところ、その智なるは生々世々、智慧を磨きし原因の招くところなり。
かくのごとく論じきたれば世界万物一つとして三世因果善悪応報原因結果の定則に漏れたるものなし。

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