神道は祭天の古俗(明治24年)・・6
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
賢所及ひ三種神器
賢所には伊勢神體寶鏡の寫しを齋まつる。内侍所といふも是なり。往古は三神器を大殿に奉し。天皇は同牀にましまして。政事をなし給ひしに。崇神帝の時に。鏡劍の寫しを造り。眞器をば大和の笠縫邑(かさぬいむら。日本書紀で、崇神天皇が天照大神(を皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に祭らせたと伝える倭の地。奈良県磯城郡田原本町新木(にき)、桜井市内などの説がある)に祠りたり。是伊勢神宮の起り也。其時より寫しの鏡劍を大殿におかれたり。是賢所の起りなり。古語拾遺(神武帝の條)に〔從皇天二祖之詔。建樹神籬。所謂高皇産靈・神皇産靈云云〕とあるは別也。其は八神殿と稱し。後には神祇官に建られ。南北朝の比までも存せり。世にはかゝる故事なども知らぬ人ありて。近年春秋二季に皇靈祭を行はるゝにより。賢所は歴代の皇靈を祭る所にて。俗の位牌所の樣なるものと誤りて。拜する人もあるよし。因て此に略辨しおくなり。皇居中に祭天の祠堂を建るは。高麗の古代にも相似たることあり。魏志(高句麗伝)に〔高句驪好治宮室。於所居之左右。立大屋祭鬼神(高句驪は宮室を治むるを好む、居の左右に大屋根を立てて鬼神を祭る)〕と見ゆ。前にいふ如く。唐虞の文祖も後世に宗廟と變し、人鬼崇拜の靈屋となりたり。高麗も革命數回のすえ古式は廢れたらん。只我邦のみ一系の皇統を奉して、古式を繼續するは、誠に目出たき國と謂べし。
天照大神の鏡劍玉を天孫瓊々杵尊に授け給ひてより三種神器と稱し、天皇の御璽となして傳受せらる。其鏡は八咫鏡。玉は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の御統にて。並に天石窟の前に。賢木に掛て飾りたる物なり。劍は素盞鳴尊の出雲簸川(ひかわ)上に於て八岐大蛇を征服して献したる天叢雲劍にて、後に草薙劍と稱し。尾張熱田神宮なることは世に隠れなけれども此三器ハもと何用になる物なるや。是迄説く者なし。按ずるに。是は祭天の神座を飾る物なるべし。紀景行帝の條に。豐國(今の豊前)の神夏磯城は。〔拔磯津山賢木。以上枝挂八握劍。中枝挂八咫鏡。下枝挂八尺瓊。亦素幡樹于船舳参向(磯津山の賢木を拔りて、以て、上枝に八握劒を挂け、中枝に八咫鏡を挂け、下枝に八尺瓊を挂け、亦、素幡を船の舳に樹てて、參向て啓して曰す)〕と見え。仲哀帝の條に筑紫岡縣主の迎へ船には。〔上枝掛白銅鏡。中枝掛十握劍。下枝掛八咫瓊〕とあり。伊覩縣主も〔拔取百枝賢木。立于船之舳艫上枝掛八尺瓊。中枝掛白銅鏡。下枝掛十握劔参迎(中略)天皇如八尺瓊之勾。以曲妙御宇。且如白銅鏡。以分明看行山川海。乃提是十握劍平天下。矣〕とあり。神皇正統記に。三神器を智仁勇に喩へたる(玉は八坂瓊(ヤサカニ)の曲玉、玉屋の命〈天明(あめのあかる)玉とも云ふ〉作り給へるなり〈八坂にも口伝あり〉。剣は素戔烏命の得給ひて、大神に奉られし叢雲剣なり。この三種につきたる神勅は正しく国を保ちますべき道なるべし。鏡は一物(いちもつ)を蓄へず。私(わたくし)の心なくして、万象を照らすに是非善悪の姿現れずと云ふことなし。その姿に従ひて感応するを徳とす。これ正 直の本源なり。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源なり。剣は剛利決断を徳とす。智恵の本源なり。この三徳を翕受(あわせうけ)ずしては、天下の治まらんことまことにかたかるべし。)は此言に本づく。故に三器は天神の靈徳に象りたるものにて。普通には鏡を神體に用ふ。日本武尊の日高見國へ打入りの船には〔大鏡懸於王船(日本書紀・景行四十年冬十月「爰日本武尊、則從上總轉、入陸奧國。時大鏡懸於王船、從海路廻於葦浦。」)〕と鏡のみなり。今も神殿に鏡を安んずるは此縁なり。又玉も神體に用ふ。筑前風土記に〔宗像大神自天降。居峙門山之時。以青蕤玉置奥津宮之表。以八尺紫蕤玉置中宮之表。以八咫鏡置邊宮之表。以此三表。成神体之形。納置三宮
〕とあるにて知べし。(宗像三社は、三女命の玉鏡を納れて、天を祭りたる社なることも明かなり)劍は戦時の式にて。所謂荒魂を表す。故に天石窟前の賢木は劍を挂けず。後世も劍を神體に用ふることは普通には之なし。彼是を考へ合すれば三器を以て神座を飾るは天安河の會議に創まりたるに非ず。遙の以前より祭天の古俗なるべし。韓土にも似たる風俗あり。魏志に〔馬韓信鬼神國邑各立一人。主祭天神名之天君。又諸國各有別邑。名之爲蘇塗。立大本懸鈴鼓。事鬼神。諸亡逃至其中。皆不還之。其立蘇塗之義。有似浮屠(魏志倭人伝「鬼神を信じ、国邑はおのおの一人を立てて天神を主祭し、これを名付けて天君という。
また諸国におのおの暴(荒々しい 別(ベツ)=暴(ボウ))の邑があり、これを名付けて蘇塗と為す。大木を立てて、鈴鼓を懸け、鬼神につかえる。もろもろの逃亡者がその中に至ると、皆、これを還さず。その蘇塗の義を立てるは浮屠に似るものが有る〕とあり。我は鏡玉を懸け。彼は鈴皷を懸く。其物は異なれども。大方は同じ。國邑に天神の社あり。皆これを以て神座とし。社の境内地を定め。其境内にては人を殺し人を捕ふるを得ぬ法なり。我邦社寺の境内は。幕府の時までも守護入部を禁ず。是も其起りの古きことを知るべし。
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
賢所及ひ三種神器
賢所には伊勢神體寶鏡の寫しを齋まつる。内侍所といふも是なり。往古は三神器を大殿に奉し。天皇は同牀にましまして。政事をなし給ひしに。崇神帝の時に。鏡劍の寫しを造り。眞器をば大和の笠縫邑(かさぬいむら。日本書紀で、崇神天皇が天照大神(を皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に祭らせたと伝える倭の地。奈良県磯城郡田原本町新木(にき)、桜井市内などの説がある)に祠りたり。是伊勢神宮の起り也。其時より寫しの鏡劍を大殿におかれたり。是賢所の起りなり。古語拾遺(神武帝の條)に〔從皇天二祖之詔。建樹神籬。所謂高皇産靈・神皇産靈云云〕とあるは別也。其は八神殿と稱し。後には神祇官に建られ。南北朝の比までも存せり。世にはかゝる故事なども知らぬ人ありて。近年春秋二季に皇靈祭を行はるゝにより。賢所は歴代の皇靈を祭る所にて。俗の位牌所の樣なるものと誤りて。拜する人もあるよし。因て此に略辨しおくなり。皇居中に祭天の祠堂を建るは。高麗の古代にも相似たることあり。魏志(高句麗伝)に〔高句驪好治宮室。於所居之左右。立大屋祭鬼神(高句驪は宮室を治むるを好む、居の左右に大屋根を立てて鬼神を祭る)〕と見ゆ。前にいふ如く。唐虞の文祖も後世に宗廟と變し、人鬼崇拜の靈屋となりたり。高麗も革命數回のすえ古式は廢れたらん。只我邦のみ一系の皇統を奉して、古式を繼續するは、誠に目出たき國と謂べし。
天照大神の鏡劍玉を天孫瓊々杵尊に授け給ひてより三種神器と稱し、天皇の御璽となして傳受せらる。其鏡は八咫鏡。玉は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の御統にて。並に天石窟の前に。賢木に掛て飾りたる物なり。劍は素盞鳴尊の出雲簸川(ひかわ)上に於て八岐大蛇を征服して献したる天叢雲劍にて、後に草薙劍と稱し。尾張熱田神宮なることは世に隠れなけれども此三器ハもと何用になる物なるや。是迄説く者なし。按ずるに。是は祭天の神座を飾る物なるべし。紀景行帝の條に。豐國(今の豊前)の神夏磯城は。〔拔磯津山賢木。以上枝挂八握劍。中枝挂八咫鏡。下枝挂八尺瓊。亦素幡樹于船舳参向(磯津山の賢木を拔りて、以て、上枝に八握劒を挂け、中枝に八咫鏡を挂け、下枝に八尺瓊を挂け、亦、素幡を船の舳に樹てて、參向て啓して曰す)〕と見え。仲哀帝の條に筑紫岡縣主の迎へ船には。〔上枝掛白銅鏡。中枝掛十握劍。下枝掛八咫瓊〕とあり。伊覩縣主も〔拔取百枝賢木。立于船之舳艫上枝掛八尺瓊。中枝掛白銅鏡。下枝掛十握劔参迎(中略)天皇如八尺瓊之勾。以曲妙御宇。且如白銅鏡。以分明看行山川海。乃提是十握劍平天下。矣〕とあり。神皇正統記に。三神器を智仁勇に喩へたる(玉は八坂瓊(ヤサカニ)の曲玉、玉屋の命〈天明(あめのあかる)玉とも云ふ〉作り給へるなり〈八坂にも口伝あり〉。剣は素戔烏命の得給ひて、大神に奉られし叢雲剣なり。この三種につきたる神勅は正しく国を保ちますべき道なるべし。鏡は一物(いちもつ)を蓄へず。私(わたくし)の心なくして、万象を照らすに是非善悪の姿現れずと云ふことなし。その姿に従ひて感応するを徳とす。これ正 直の本源なり。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源なり。剣は剛利決断を徳とす。智恵の本源なり。この三徳を翕受(あわせうけ)ずしては、天下の治まらんことまことにかたかるべし。)は此言に本づく。故に三器は天神の靈徳に象りたるものにて。普通には鏡を神體に用ふ。日本武尊の日高見國へ打入りの船には〔大鏡懸於王船(日本書紀・景行四十年冬十月「爰日本武尊、則從上總轉、入陸奧國。時大鏡懸於王船、從海路廻於葦浦。」)〕と鏡のみなり。今も神殿に鏡を安んずるは此縁なり。又玉も神體に用ふ。筑前風土記に〔宗像大神自天降。居峙門山之時。以青蕤玉置奥津宮之表。以八尺紫蕤玉置中宮之表。以八咫鏡置邊宮之表。以此三表。成神体之形。納置三宮
〕とあるにて知べし。(宗像三社は、三女命の玉鏡を納れて、天を祭りたる社なることも明かなり)劍は戦時の式にて。所謂荒魂を表す。故に天石窟前の賢木は劍を挂けず。後世も劍を神體に用ふることは普通には之なし。彼是を考へ合すれば三器を以て神座を飾るは天安河の會議に創まりたるに非ず。遙の以前より祭天の古俗なるべし。韓土にも似たる風俗あり。魏志に〔馬韓信鬼神國邑各立一人。主祭天神名之天君。又諸國各有別邑。名之爲蘇塗。立大本懸鈴鼓。事鬼神。諸亡逃至其中。皆不還之。其立蘇塗之義。有似浮屠(魏志倭人伝「鬼神を信じ、国邑はおのおの一人を立てて天神を主祭し、これを名付けて天君という。
また諸国におのおの暴(荒々しい 別(ベツ)=暴(ボウ))の邑があり、これを名付けて蘇塗と為す。大木を立てて、鈴鼓を懸け、鬼神につかえる。もろもろの逃亡者がその中に至ると、皆、これを還さず。その蘇塗の義を立てるは浮屠に似るものが有る〕とあり。我は鏡玉を懸け。彼は鈴皷を懸く。其物は異なれども。大方は同じ。國邑に天神の社あり。皆これを以て神座とし。社の境内地を定め。其境内にては人を殺し人を捕ふるを得ぬ法なり。我邦社寺の境内は。幕府の時までも守護入部を禁ず。是も其起りの古きことを知るべし。