福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

真言教誠義・・30

2018-06-06 | 法話
常に不動尊を信ずる善男善女は断末魔の苦しみを受くること甚だ少なし。
いまこの断末魔の苦を受ける前に必ず一期の用心をなすべし。然るに五濁悪世の人と云えどもかねて臨終の日限を知って、有漏不浄の身を沐浴し浄衣を着し、所住のけがれたる処を掃除し、浄所となして前に阿字を安置し或は仏像をかけ、香煙を絶やさず、正念に住して命終を待って、歓喜勇躍して往生すれば即身成仏の知見の顕れたるなりと知るべきなり。・・・密厳大師(興教大師)は深く今時の衆生を憐憫したまひて一期大要集一巻を製造して曰く「・・一期の大切なることをおもひて決定往生の業を積むべし。その往生の善根に九品の往生の善根あり・・この九品の往生は偏に臨終の一期の正念にまかせたり。・・九種の用心とは
一には身命を惜しむべき用心。これは病を受けたらば治療して身心安穏にして寿命を延べて往生の善業を積んことをねがふなり。我が寿命の分限いまだ決定せざる間は一向に身命を捨つるべからず。・・これはただ真言の神通乗の法をまもりて往生の業をつみて当来成仏の結縁を厚くせんと欲するなり。
二には、身命を惜しまざる用心・二八宿と九曜との司禄司命を卜ひ、宿曜経を明らめて寿命の一期を量り知らば、一向に無常菩提を求むるの三密の行を修すべし。もし出家者ならば弟子に佛眼の法を修せしめて正念往生を祈り、自身は沐浴清浄にして袈裟を着し、阿字月輪の観に入り、または五輪観に入て伝法の秘印明を結誦し、正念に住し一期を待つべし。在家の人なれば光明真言並びに五字の明(あびらうんけん)を唱え、正念に住せよ。・・
三にはもと住せしところを移す用心。・・もし在家の出家せざるはすでに命終の一期を知るが故に早く髯髪を除きて出家して十戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒、不塗飾香鬘、不歌舞観聴、不坐高広大牀、不非時食、不蓄金銀宝)を受けよ。心地観経に「もし善男子善女人、無上菩提を発して一日一夜出家して道を修すれば二百億万劫三悪趣に堕せず、常に善所に生じて勝れたる妙楽を受け諸仏の世間に出現したまふに値ふことをえて菩薩の授記を受けて菩提樹の下の金剛座に坐して最正覚を成ず」ととけるがゆえに、いそぎて出家して十戒を受けよ。・・自分の命終わることを覚悟したならば無常院に居せよ。無常院なければもとの住所を移す用意すべし。(お大師様の入定時、お釈迦様悟時を模す)
四に、本尊を招請し奉る用心。若しは幡、若しは五色の糸、臨終の用意に求め置くべし。無常会の幡は宝楼閣陀羅尼を書きて、開眼して用いる。この陀羅尼を誦する功徳は一切の業障皆消滅して重き病もに¥みな消除すとあるがゆえに。探玄記にいわく「西国の法によらば、命を捨てんと欲する者あれば面を西に向け臥せしめ、前に於いて一の立てる仏像を安んず。また佛面をして西に向はしめ、1の幡をもって立てる仏像の手の指に掛け、病人の手をして幡の足を執らしめよと云々」真言宗では本尊の面を東に向け、本尊の手に五色の糸の頭を掛けて病人の手に糸の末をとらしむ。本尊の面を東に向かはしむるは来迎なり。年来帰依の大日、阿弥陀、釈迦、不動、地蔵、観音などなり。名香の煙の上には佛菩薩等来臨影向したまふゆえに断ずべからず。光明真言、五字の明を唱えてその命期を待つべし。
五に業障を懺悔する用心。・・転法輪と召罪と摧罪と佛眼と一字金輪と宝篋印陀羅尼と光明真言と弥陀の十甘露の呪(のうぼうあらたんのうたらやあや。のうまくありやみたばや。たたぎゃたやあらかていさんみゃくさんぼだや。たにゃたおん。あみりてい。あみりとうどばんべい。あみりたさんばべい。あみりたぎゃらべい。あみりたしっでい。あみりたていぜい。あみりたびぎらんてい。あみりたびぎらんたぎゃみねい。あみりたぎゃぎゃのうきちきゃれい。あみりたどんどびそばれい。きらばあらたさだねい。さらばきゃらまきれいしゃきしゃようきやれいそわか)
と、滅罪の真言、浄三業・業障除の真言、金剛界・胎蔵界礼賛、仏説五十三佛名経の礼賛の文等なり。
六に菩提心をおこす用心。・・
七には極楽を観念する用心。
八には決定往生の用心。・・極悪人の往生をとぐるも最後の臨終の用心なり。命終のとき五人の知識を招請してよくその作法のことを約すべし。・・うち一人の知識は必ず有智の大導師を用ひ、病人はこの人を能引召の観音のおもいをなすべし。一人の知識は久しく修錬したる人を用ふべし。ひがしにて常に不動尊を祈りて慈救の呪(ノウマク サマンダバザラダン センダマカロシャダ ソワタヤウン タラタ カン マン)を満たすべし。もう一人の知識は病人の北に坐せよ。金をならして同じく唱えよ。あとの二人の知識は一期の大事に及ばん時の用心をまつべし。もし病人病苦身に迫りて寝返りし東西をも弁ぜざる時にはこの二人の知識の所作として必ず東西に臥せしめよ。・・
九には没後追修の用心。知識の人は臨終の時の悪相の死を見聞するときは速やかに招魂の法を修してまさに三悪道に赴かんとする第八識の霊魂を引き返して本の肉団心の処に留め置きて休止するの法を修するなり。・・いわく済度する三宝には佛眼の法と金輪佛頂の法と正観音の法と、地蔵の法とを修すべし。法施には理趣経と五三佛名経と宝篋印陀羅尼と尊勝陀羅尼と光明真言・破地獄の経と宝楼閣陀羅尼とを誦すべし。
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