福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

きょうは盲目の首藤清吾氏が若草神社で開眼した日 

2025-03-05 | 法話

きょうは盲目の首藤清吾氏が若草神社で開眼した日

 

宮城県登米市若草神社にある「首藤先生開明由来」

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjYxprVsI75AhXKf94KHf0-AQQQFnoECDgQAQ&url=https%3A%2F%2Fwakakusa-inari.amebaownd.com%2Fpages%2F3031338%2Fconcept&usg=AOvVaw3-VPvk2lrKQ8Ek7RTPyRlK

 

 

「首藤先生開明由来

大正十三年十月二十日、米川尋常高等小学校五年生担任の首藤清吾先生(当時二十歳)は突然鞭を持ったまま教壇に倒れられた。翌朝になって失明、直ちに仙台大学病院に入院三か月、治療の甲斐なく失明のまま退院された。私達教え子は先生が入院中に、若草神社参拝途中開明した、という夢を見た話を聞き、二人交替で手を引き靈明水で手を清め、参拝することを相談し、さっそく実行に移したのである。

翌朝大正十四年三月五日、私と義夫君が先生の手を取り参道を登り一息ついたとたん、先生はあっという間に足を滑らして二十餘米の崖下に転落され、その時、奇跡的にも開眼されたのである。教え子はじめ皆の真心が神に通じたものと私は信ずるものである。

若草神社は霊験あらたかな豊作と教育の神様である。この開明の事実は教育美談として映画「黎明の里」(内田叶夢監督の映画「黎明の郷」)に作られ、種々の雑誌に掲載され、また近年にはテレビに放映された。あれから五十年今茲に当時を回顧し感無量のうちに恩師開明の由来を記する。

昭和五十二年十一月一日

小野寺市郎右衛門 六十五歳」

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日は亀山天皇宸筆起請文(... | トップ | 今日は紫宸殿に於いて六十僧... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事