9番慈光寺について
1、開山 天武2年 役の行者
2、本尊 千手千眼十一面観世音菩薩(御真言おんばざら たらま きりく)興福寺の入唐沙門慈訓和尚刻。
3、縁起
・明和3年(18C)に真言僧亮盛が観音経を唱えて海難から逃れ作成した「坂東観音霊場記」によると縁起は以下の通り。
「武州比企郡慈光寺は人王三十七代孝徳帝の御宇、役優婆塞御岳、秩父、武甲等の諸山を遊歴して初めてこの慈光の峰に至り・・・三七日水穀を絶ちて心経、不動明王、孔雀明王の呪を誦して・・・蔵王歓喜して岩窟にいりたまふ。今の観音堂地それなり。
・・・人王四十代天武帝の御宇、興福寺の入唐沙門慈訓和尚此の慈光の峰に登り、少角の遺跡をしたひ慈訓定に住して観見せしかば都史の浄刹にしてすなわち常念観音院なり。
・・伝教大師廣慧の付嘱をうけて台密禅三宗兼学の講場を肇たまふ。台は宝珠坊、密は西蔵坊、禅は霊山院なり。往古は七十五坊あり、今十余坊存す。慈光はその総本寺なり。
・・人王五十六代清和帝の御宇・・法華経壱部二十八品を二十八巻に分書して御奉納なり。これを宸翰の一品経と称す。当山秘蔵の什寶なり。水尾院天台別山一乗法華院の御額を賜ふ。源頼朝公天下泰平武運長久の洪鐘一口を架したまふ。・・・この慈光の山は兜率の四十九院摩尼殿のうち常念観音院なれば法爾と大悲の霊場にして即ち弥勒の浄土なり。参詣結縁すれば必ず弥勒の出世に逢ふ。
・・
(そして霊験記として「ふもとで蝮にかまれて毒気が全身にまわり死にそうになった農夫をたすけるため慈光寺の千手観音に三日三晩代参したところ病人の夢に老翁があらわれ手のひらに書いた「猪」という字を飲ませた。そののち一夜にして腫れが引き全快した・・・これは千手陀羅尼経に「毒蛇玩蠍にあたっても死せず」という二十五の悪死を防ぐ願いの第六番によりたすけられたのであり、また猪は蛇を好んで食べるため夢に遣わされでてきたのであろう」としています。)]
4、国宝等
・国宝は「装飾法華経信解品」(日本3大装飾経の一つ) 文永七年(1270)後鳥羽帝等の制作によるもの。
・5の僧坊跡は県指定重要遺跡
・写経が多い。貞観十三年(871年9の上野国権大目小水麻呂の「大般若経」153巻 参道にはお大師様の心経など多くの心経の貴重な摸沙があります。
・板碑(弘安七年(1284)等歴代住職が逆修のためつくる。(服部清道「実に鎌倉文化の一異彩にして畿内にも勝りたる中世地方文化の唯一のほこりである(板碑概説))も参道入口に並んでいます。
1、開山 天武2年 役の行者
2、本尊 千手千眼十一面観世音菩薩(御真言おんばざら たらま きりく)興福寺の入唐沙門慈訓和尚刻。
3、縁起
・明和3年(18C)に真言僧亮盛が観音経を唱えて海難から逃れ作成した「坂東観音霊場記」によると縁起は以下の通り。
「武州比企郡慈光寺は人王三十七代孝徳帝の御宇、役優婆塞御岳、秩父、武甲等の諸山を遊歴して初めてこの慈光の峰に至り・・・三七日水穀を絶ちて心経、不動明王、孔雀明王の呪を誦して・・・蔵王歓喜して岩窟にいりたまふ。今の観音堂地それなり。
・・・人王四十代天武帝の御宇、興福寺の入唐沙門慈訓和尚此の慈光の峰に登り、少角の遺跡をしたひ慈訓定に住して観見せしかば都史の浄刹にしてすなわち常念観音院なり。
・・伝教大師廣慧の付嘱をうけて台密禅三宗兼学の講場を肇たまふ。台は宝珠坊、密は西蔵坊、禅は霊山院なり。往古は七十五坊あり、今十余坊存す。慈光はその総本寺なり。
・・人王五十六代清和帝の御宇・・法華経壱部二十八品を二十八巻に分書して御奉納なり。これを宸翰の一品経と称す。当山秘蔵の什寶なり。水尾院天台別山一乗法華院の御額を賜ふ。源頼朝公天下泰平武運長久の洪鐘一口を架したまふ。・・・この慈光の山は兜率の四十九院摩尼殿のうち常念観音院なれば法爾と大悲の霊場にして即ち弥勒の浄土なり。参詣結縁すれば必ず弥勒の出世に逢ふ。
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(そして霊験記として「ふもとで蝮にかまれて毒気が全身にまわり死にそうになった農夫をたすけるため慈光寺の千手観音に三日三晩代参したところ病人の夢に老翁があらわれ手のひらに書いた「猪」という字を飲ませた。そののち一夜にして腫れが引き全快した・・・これは千手陀羅尼経に「毒蛇玩蠍にあたっても死せず」という二十五の悪死を防ぐ願いの第六番によりたすけられたのであり、また猪は蛇を好んで食べるため夢に遣わされでてきたのであろう」としています。)]
4、国宝等
・国宝は「装飾法華経信解品」(日本3大装飾経の一つ) 文永七年(1270)後鳥羽帝等の制作によるもの。
・5の僧坊跡は県指定重要遺跡
・写経が多い。貞観十三年(871年9の上野国権大目小水麻呂の「大般若経」153巻 参道にはお大師様の心経など多くの心経の貴重な摸沙があります。
・板碑(弘安七年(1284)等歴代住職が逆修のためつくる。(服部清道「実に鎌倉文化の一異彩にして畿内にも勝りたる中世地方文化の唯一のほこりである(板碑概説))も参道入口に並んでいます。