「日本霊異記には家畜が前世の父母であったりする話が多い。輪廻などという考え方はあまりに非科学的であり今日到底みとめることはできまい。しかし今日例えば親子関係を自明の事実として親子という人間関係とはいかなる人間関係であるかという反省もなく生きつつある我々を思うとき、ここにはわれわれよりもより深い精神の営みが感じられる。われわれにおいてもわが子がわが親を見つめ改めてある人間と人間とが親子と言われて生きている事実を思うとき「縁」ということばが新しくいきかえってくるかもしれない。本居宣長の「今世にあることも、今あればこそ、あやしとは思はね、つらつら思ひめぐらせば、世の中にあらゆること、なにものかはあやしからざる、いひもてゆけば、あやしからぬはなきぞよと(玉勝間)」という言葉も日本人のこの世のこのような生の理解の底辺に流れ続けてきたものを取り出したことばといえよう。このように現実のこの世の生自体が形而上なるものにかかわる営みであった。そこからこの世のなりゆきの生を求めつつもその生の終焉を形より上なるものに帰る、あるひは帰することとして悲しみつつもあきらめに転じてきたのである。形より上なるものとのかかわりにおいて「あきらめ」は可能であったのである.(日本人の心、相良亨)」
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