不空金剛は、705(唐・中宗・神龍元)年生まれで、774(代宗・大暦9)年の6月15日に大興善寺に入滅されています。「付法の八祖」では第六祖、「伝持の八祖」では第四祖。以下、大師の「秘密曼荼羅教付法伝」と「密教辞典」をあわせて書いておきます。「北インドのバラモン出身の父と康居人の母との間に西域で生まれ、長じて長安に入り金剛智に会い門下に投じる。20歳ごろ有部律により師金剛智より具足戒を授かり、以後常に金剛智の側にあり金剛頂系の密教を学ぶ。・・入竺を志し、セイロンで龍智にあい金剛頂系の秘法を授かり梵本500部を入手して帰唐しています。以下「秘密曼荼羅教付法伝」では「(龍智が)授くるに十八会の金剛頂瑜伽十万頌の経・ならびに大毘盧遮那大悲胎蔵十万頌の経・五部灌頂・真言秘密経典の梵夾五百余部をもってす。みなもってその所伝を得たりとなす。・・・天宝五年・・・獅子国より還る。玄宗皇帝壇を建て灌頂を授けらる。・・時に愆亢(げんこう、日照り)連月、詔あって和上をして雨を祈らしむ。和上壇を結ぶ。期に応じて油雲四におこり霈然として洪澍す。・・或は大風喜を抜くの災、妖星度を失うの殄(わざわい)、和上心を挙げて黙念すれば影響のごとし。・・勅を奉じて京に還って大興善寺に住す。・・粛宗皇帝霊武に行在す。和上密かに秘法を進め、並びに乱をおさめ(安禄山の乱)・・大暦九年六月・・・十五日・・和上・・右脇累足にして恬然として薨じぬ。・・」
大師の「真言法伝」によると
「真言第六祖不空三蔵は真言第五祖の金剛智三蔵の弟子で、南天竺の人。師の滅後、不空三蔵は南天竺に旅し、竜智和尚より金剛頂瑜伽十八会の経、五部灌頂、金剛系の経典、小乗経典などを得て天宝五年(七四六)の初めに長安に入った。玄宗・粛宗・代宗の三代の国師となった。大暦九年(七七四)六月十五日、不空薬湯に浴して身を清め、衣服を清潔なものに着替え、泰然として遷化。寿齢七十歳、法臘五十。荼毘に付したのち無数の舎利を生じた。 皇帝は嘆き、三日の間朝廷を閉じ、追悼された。」とあります。
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