今日天長三年十月八日は大師(53才)が「弟子の僧真体、亡妹七七の斎を設けならびに伝燈料田を奉入するが ための願文」を撰せられた日です。布施により亡くなった人を供養に功徳があることが分かります。
「それ仏に五智あり。因業おのおの異なり。いわゆる阿哩也囉多嚢納婆嚩多他掲跢(ありやあらたんのうどはんばばたたぎゃた)すなわちこれ檀那の報徳なり(布施の功徳で宝生如来になる)。三世の没弟(仏陀)劫沙の索多(菩薩)、発心修行して金剛宝蔵に入る者の所乗不同なり。乗載各別なりというろいえども、終に一味に帰す。一味の海、浩きょう(水が広々として潔白)として辺なし。不二の嶽、岌嶫(きゅうごう、高い)として頂なし。内心の大我(金胎不二の大日)は法界に都して常恒なり。金蓮の冒地(金胎不二の大日)は心殿に曽って不変なり。不変の変(不変の大日如来が応現する)は刹塵に遍じて物に応じ,応物の化(万物に応同して化益をなす諸仏菩薩)は沙界に満ちて人を利す。体用大いに奇なるは我が大師薄伽梵その人なり。
想えば亡妹和気朝臣の氏、牝卦性を陶し(従順の徳を磨き)、柔気身を冶す。天地の覆載早く嬰孩の年に露る(幼少期に父母と死別)。恃怙(しこ)の懐哺速やかに匍匐の歯に弧なり(父母と早く別れた)。翼ふところは四徳(婦人の言・徳・巧・容徳)を母儀に祟めむことを(母になって婦人の四徳を発揮させたかった)。何ぞ図らん三泉を夭死にせきむとは(若死にして三泉の墓に旅立たんとは)。嗚呼哀なるかな、悲しいかな、奈何せむ、真体等、連枝の半ば枯れたるを哀しび、同気(兄妹)の一休することを痛む。涙朝露とともにして泣げん(悲涙が流れ落ちる)し、心晨の霜と将して消竭(しょうかつ、きえつきる)す。日月はやく流れて七七たちまちに臨む。
謹んで天長三年十月八日を以て先人の遺るところの土左の国久満ならびに田村庄、美作佐良庄,但馬の国針谷の田等を永く神護寺の伝法料に奉入す。兼ねて竜象を延いて大日経を演説す。ならびに百味を設けて三宝に奉獻す。伏してねがわくはこの妙業によって焭魂を済抜せん。五智爀日の容を(金剛界の諸尊)顕し、三部坐月の貌を現ぜん(胎蔵界の諸尊が現れる)。本有の荘厳を見、妙覚の理智を証せん。先考一実を如如に契い(悟りの境地にかない)、先妣十力を智智に得ん(仏の十力を体得して覚る)。無明黒暗の郷、妄想顛倒の宅、同じく心佛の光明を照らして共に恵炬の熾炎を焚かん(佛智のたいまつを輝かそう)。」