平安中期の仏教説話集『三宝絵詞』巻下には、「仏名は、律師静安が、承和のはじめの年、深草の御門(仁明天皇)をすすめたてまつりて、はじめ行はせ給ふ」と記され『仏名会因縁』にも、「仁明天皇御宇、承和五年十二月十九日、元興寺律師静安等奏聞して、清涼殿に於いて始めて仏名懺悔を修す。先つ是は静安修行、近江比丘良山、
勤仕礼拝十六巻仏名経、其の声遥かに禁中に聴ゆ。主上駭き、静安に勅して、十六巻仏名を礼せしむ。其の声差うこと無し。傍て、内裏に於いて始めて仏名を修す。」
枕草子八十五段に「御仏名のあした、地獄絵の御屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせ奉りたまふ。いみじゅうゆゆしき事かぎりなし。これ見よかし、と仰せらるれど、更に見侍らじ、とてゆゆしさにうへやに隠れふしぬ・・」