福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

両部神道論・・・その5

2014-10-13 | 法話
5、室町時代
一条兼良(関白太政大臣。中世の代表的知識人。「江次第抄」「公事根源」「花鳥余情」「樵談治要」など。)は『日本書紀』の注釈書「日本書紀纂疏」を著し、室町時代を代表する神仏一体の考え方を示した。「・・一、書に曰く、天地の初まるときに始めて倶生神有ます。國常立尊(くにとこたちのみこと)と号す。次に國狭槌尊(くにさつちのみこと)と、またいわく、高天原に所生(あれます)神の名を天の御中主の尊と曰す。次、高皇産霊(たかみむすびのかみ)と、次に神皇産尊(かむみむすびのみこと)。旧事記に按ずるに俱生、耦生、獨化の三等あり。男神二尊相並んで出る、之を俱生といふ、男女匹耦して化生する、之を耦生といふ、男神耦なくして単化する、これを獨生といふ。皆この書にみえたり。・・・内典によれば則ち、天御中主は大梵王、娑婆世界の主たり、高皇産霊(たかみむすびのかみ)、神皇産尊(かむみむすびのみこと)また次第に梵輔、梵衆等に配す。(注・・色界の初禅天が下から順に梵衆・梵輔・大梵天となる)・・天つ神、伊弉諾尊・伊弉冉尊にいひていわく『豊葦原千五百ちいを秋の瑞穂の地くにあり、よろしく汝往いて修らすべし』と、・・豊葦原とは娑婆世界をいふ、蓋し劫初の時、極光浄天、彼の没するに従って大梵所を生じ、梵輔を生じ、梵衆を生じ、乃至四天王を生ず。このごとく次第して人間を下生す。故に國常立等もまた極光浄の化生するところなり。天御中主とは、「天」は依るところの処なり、「御」は統御なり、「中」は四方の中央なり、「主」は君なり、掌なり。・・」                                       「(伊弉諾、伊弉冉尊が天の瓊矛をもって下界をかき回した時に)瓊矛(ぬぼこ)とは天神の寶戈なり。・・瓊矛は神明の本、衆物の祖なり。佛者の云う、これ所謂金剛杵なり、故に八洲の形、独鈷の如し。また伊勢の内外宮の心の御柱は瓊矛の象也。・・・滴瀝の潮、凝って嶋となる、蓋し陰気の盛んなるなり。倶舎によるときは則ち、業増上力にて大雲雨金輪のうえに起こし、滴ること車軸の如し。又感別風起こって転じて地輪をなす。是なり。磤馭慮島(おのころじま)とは・・仏教の意に従ふときは則ち衆生の業力によってこの形を致す。また楞伽経にいわく、「想澄て國土成る」。大乗の意は不覚の一念によって器界を成立す。・・」
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