法然上人の「一四五箇条問答」のうち一三九条
「現世をいのり候に、しるしの候はぬ人はいかに候ぞ。」
「答。現世をいのるに、しるしなしと申事、仏の御そらごとには候はず、わが心の説のごとくせぬによりて、しるしなき事は候也。さればよくするにはみなしるしは候也。観音を念ずるにも、一心にすればしるし候。もし一心なければしるし候はず。むかしの縁あつき人は、定業すらなを転ず、むかしもいまも縁あさき人は、ちりばかりものくるしみにだにもしるしなしと申て候也。仏をうらみおぼしめすべからず。ただこの世、のちの世のために仏につかへむには、心をいたし、ま事をはげむ事、この世もおもふ事かなひ、のちの世も浄土にむまるる事にて候也。しるしなくば、わが心をはづべし。」
「現世をいのり候に、しるしの候はぬ人はいかに候ぞ。」
「答。現世をいのるに、しるしなしと申事、仏の御そらごとには候はず、わが心の説のごとくせぬによりて、しるしなき事は候也。さればよくするにはみなしるしは候也。観音を念ずるにも、一心にすればしるし候。もし一心なければしるし候はず。むかしの縁あつき人は、定業すらなを転ず、むかしもいまも縁あさき人は、ちりばかりものくるしみにだにもしるしなしと申て候也。仏をうらみおぼしめすべからず。ただこの世、のちの世のために仏につかへむには、心をいたし、ま事をはげむ事、この世もおもふ事かなひ、のちの世も浄土にむまるる事にて候也。しるしなくば、わが心をはづべし。」