往生要集上 (十楽) 七、第七に衆生倶会の楽とは・・・
「普賢菩薩の言く、もし衆生ありていまだ善根を植えざるものおよび小善をも植えたる声聞・菩薩はなほ我が名字をきくことを得ず。いはんやわが身を見んことをや。もし衆生ありてわが名を聞くことを得ば、阿耨菩提においてまた退転せず。乃至、夢の中にて我を見、聞かんものもまたかくの如し。またいわく、我常にもろもろの衆生に随順して未来一切の劫を尽くすまで、恒に普賢の広大の行を修し、無上の大菩提を円満せん。普賢の身相は虚空の如し、真に依りて住すれば国土にあらず。もろもろの衆生の心の欲するところに随ひて、普き身を示現して一切に等しくす。一切の刹の中の諸仏の所に種々の三昧もて神通を現し、一々の神通は悉く十方の国土に周辺して遺す者なし。(華厳経入法界品の取意)」
「文殊師利大聖尊は、三世諸仏以て母となす、十方の如来の初発心は皆これ文殊が教化の力なり。一切世界のもろもろの有情の、名を聞き、身及び光相を見、ならびに随類のもろもろの化現を見るものは皆仏道を成ずること思議し難し。(大乗本生心地観経)」と。もしただ名を聞くものは十二億劫の生死の罪を除き、もし礼拝・供養するものは恒に佛家に生まれ、もし名字を称すること一日・七日ならば文殊かならず着たり給ふ。もし宿障あらば夢の中に見奉ることを得て求むるところ円満す。もし形像をみたてまつるものは、百千劫の中に悪道に堕せず。もし慈心を行ずるものは即ち文殊をみたてまつることを得。もし名を受持し、読誦するものあらんものはたとひ重障ありとも阿鼻の極悪の猛火に堕せずして常に他方の清浄の佛土に生る。(文殊般涅槃経の取意)」
「弥勒菩薩は功徳無量なり。もしただ名を聞く者は黒闇の処に堕せず。一念も名を称するものは千二百劫の生死の罪を除却し、帰依することあらんものは無上道において不退転を得(弥勒上生経の取意)」「称名し、礼賛するものは百万千万阿僧祇劫の生死の罪を除く。(虚空蔵経、仏名経の取意)」
「地蔵菩薩は毎日晨朝に恒沙の定に入り、法界に周辺して苦の衆生を抜く。所有の悲願余の大士に超えたり。(十輪経の意)」
「観世音菩薩の言はく、「衆生苦ありて三たびわが名を称せんに往いて救はずは正覚をとらじ。(弘猛海慧経)」「衆生もしわが名を聞かば苦を離れて解脱を得ん。また地獄に遊戯して大悲代わりて受けん。(請観音経)」「観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼(法華経)」と。
「大勢至菩薩の曰く「われよく諸々の悪趣の未度の衆生を度するに堪忍せり。(宝積経)と」「智慧の光をもって普く一切を照らして三途を離れしむるに無上の力を得たり。ゆえにこの菩薩を大勢至と名つく。この菩薩を観ずるものは無数劫阿僧祇の生死の罪を除き、胞胎に処せずして(再び人に生まれず)常に諸仏の浄妙の国土に遊ぶ。(観無量寿経の意)」「無量無辺阿僧祇劫に広く願力を修して弥陀を助け、常に大衆に処して法言を宣ぶ。衆生の聞かんものは浄眼を得、・・衆生もし能く心を至して念ずればみな悉く導いて安楽に至らしむ。(竜樹の賛)」・・・かくのごとき一生補処の大菩薩はその数恒沙のごとし、色相端厳にして功徳具足し、常に極楽国にありて弥陀佛を囲繞したてまつる。」
「普賢菩薩の言く、もし衆生ありていまだ善根を植えざるものおよび小善をも植えたる声聞・菩薩はなほ我が名字をきくことを得ず。いはんやわが身を見んことをや。もし衆生ありてわが名を聞くことを得ば、阿耨菩提においてまた退転せず。乃至、夢の中にて我を見、聞かんものもまたかくの如し。またいわく、我常にもろもろの衆生に随順して未来一切の劫を尽くすまで、恒に普賢の広大の行を修し、無上の大菩提を円満せん。普賢の身相は虚空の如し、真に依りて住すれば国土にあらず。もろもろの衆生の心の欲するところに随ひて、普き身を示現して一切に等しくす。一切の刹の中の諸仏の所に種々の三昧もて神通を現し、一々の神通は悉く十方の国土に周辺して遺す者なし。(華厳経入法界品の取意)」
「文殊師利大聖尊は、三世諸仏以て母となす、十方の如来の初発心は皆これ文殊が教化の力なり。一切世界のもろもろの有情の、名を聞き、身及び光相を見、ならびに随類のもろもろの化現を見るものは皆仏道を成ずること思議し難し。(大乗本生心地観経)」と。もしただ名を聞くものは十二億劫の生死の罪を除き、もし礼拝・供養するものは恒に佛家に生まれ、もし名字を称すること一日・七日ならば文殊かならず着たり給ふ。もし宿障あらば夢の中に見奉ることを得て求むるところ円満す。もし形像をみたてまつるものは、百千劫の中に悪道に堕せず。もし慈心を行ずるものは即ち文殊をみたてまつることを得。もし名を受持し、読誦するものあらんものはたとひ重障ありとも阿鼻の極悪の猛火に堕せずして常に他方の清浄の佛土に生る。(文殊般涅槃経の取意)」
「弥勒菩薩は功徳無量なり。もしただ名を聞く者は黒闇の処に堕せず。一念も名を称するものは千二百劫の生死の罪を除却し、帰依することあらんものは無上道において不退転を得(弥勒上生経の取意)」「称名し、礼賛するものは百万千万阿僧祇劫の生死の罪を除く。(虚空蔵経、仏名経の取意)」
「地蔵菩薩は毎日晨朝に恒沙の定に入り、法界に周辺して苦の衆生を抜く。所有の悲願余の大士に超えたり。(十輪経の意)」
「観世音菩薩の言はく、「衆生苦ありて三たびわが名を称せんに往いて救はずは正覚をとらじ。(弘猛海慧経)」「衆生もしわが名を聞かば苦を離れて解脱を得ん。また地獄に遊戯して大悲代わりて受けん。(請観音経)」「観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼(法華経)」と。
「大勢至菩薩の曰く「われよく諸々の悪趣の未度の衆生を度するに堪忍せり。(宝積経)と」「智慧の光をもって普く一切を照らして三途を離れしむるに無上の力を得たり。ゆえにこの菩薩を大勢至と名つく。この菩薩を観ずるものは無数劫阿僧祇の生死の罪を除き、胞胎に処せずして(再び人に生まれず)常に諸仏の浄妙の国土に遊ぶ。(観無量寿経の意)」「無量無辺阿僧祇劫に広く願力を修して弥陀を助け、常に大衆に処して法言を宣ぶ。衆生の聞かんものは浄眼を得、・・衆生もし能く心を至して念ずればみな悉く導いて安楽に至らしむ。(竜樹の賛)」・・・かくのごとき一生補処の大菩薩はその数恒沙のごとし、色相端厳にして功徳具足し、常に極楽国にありて弥陀佛を囲繞したてまつる。」