福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教人生読本(岡本かの子)・・その31

2014-03-09 | 法話

第三一課 性欲


 性欲は人間の三大本能(食欲、睡眠欲、性欲)の一つであります。そして他の二欲と違って、年齢により著しき消長があります。青年期から壮年期にかけて強く、少年期はまだ現れず、老齢になるに及んで減退するものであります。この性欲の根本使命は、種の保存、子孫繁栄にあるようですから、これを今さら取り立てて説明研究する必要はありません。ただ注意としてそれが非常に惑溺性を帯びておりますが故に、少くとも人間である以上、理性を以てこれを調整して行かねばならないと言うにとどまるのであります。
 が、ここに性欲の別の見方、重大な活用法があるのでありますから、性欲もなかなか放置して置けません。
 最近医学の進歩につれて、この性欲なるものは、人体内の諸所より血液中へ分泌される内分泌物、すなわちホルモンの司る作用であって、そのホルモンが血液に混じて体内をめぐり、一方性欲を惹起させ、他方また精神、肉体を強靱ならしめていることが実証されて来ました。そして性欲を濫費する時は、ホルモンの減少を来し、従って肉体精神の衰弱を来すことになり、これに反して、性欲を矯めて、ホルモンを適当に保存する時は、ちょうど、草の尖端をつめて、幹を太らせるように、精神力、体力を充実させ、それによって偉大な事業、絶大な忍耐、神聖な生活道程をなし遂げ得るのであります。
 仏教では、この性欲などを三毒(貪・瞋・痴)のうち、貪(むさぼる本能欲)の中に入れて餓鬼の性質にしていますが、この貪を転向浄化せしむる時は、一切の善を求めて止まざる性質となりまして、遂には完全無欠の人格者すなわち仏陀の位にまで達せられると言うのであります。すなわち、この貪の性欲があればこそ、これを利用すれば人格完成の最後の幸福境に達せられるのですから、性欲の取扱い方もここにおいて非常に大切になって参ります。
(慈雲尊者は『十善法語』の不邪淫戒のところで「・・その国に禍あり福ある、その家に禍あり福ある、多くは閨門(夫婦関係)の邪正による。・・この道に慎みあるものは天の福を得る、この道の乱るる者はその身に災害集まる。・・経中に『邪淫の者は地獄餓鬼畜生に堕す』とある、これを異熟果といふ。『たまたま人間に生ずるも夫妻貞良ならず、随意の眷属を得ぬ』とある。此れを等流果といふ。外の器世間の資具に至る迄臭穢不浄なり』とある。此れを増上果といふ。」
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