願い事があり何年も祈願を続けていますが今一つすっきりしません。最近ではついつい「お経にはあれだけ『苦を救ってやる』と繰り返し書かれていても古今東西人々の不幸は無くならないではないか・・」「人々があれだけ神仏に祈願していても不幸から逃れられないではないか」などと、神仏に愚痴を言うこともありました。しかし今朝も愚痴をつぶやきつつも修法を始めるとなんといつもより有難く修法に集中できるのです。なんということかと行中にも不思議な思いがしました。諸仏のご真言をお唱えするときも今までは雑念が浮かんできていましたが今日は無心にお唱えすることができたのです。やはり神仏の世界は一筋縄ではいかないことの一端をチラリと垣間見せられた気がしました。
沢木老師の「行なしではお経の文句は理解できない」というお言葉が身に沁みます。