福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

葬儀の根拠

2014-07-05 | 諸経
世上お釈迦様は僧は葬儀はしてはならないとおしゃったといわれますが、仏典にはちゃんとお釈迦様が葬儀をされたという根拠があります。
Ⅰ、大智度論には、お釈迦様が乳母大愛道比丘尼の死に際して「自ら前にありて 香爐燒香供養す」とあります。(注1)
2、佛説淨飯王般涅槃經には、お釈迦様は父上淨飯王の死去に際し自ら火葬を指揮し、「收骨。金凾を盛置し、即ち其上に便ち共に起塔し、幡蓋及種種鈴を懸け塔廟を供養す・・(そのおかげで淨飯王は)淨居天に生ず」と書いてあります。(注2)


(注1)大智度論巻第十、「大愛道比丘尼。五百阿羅漢比丘尼等と與に一日中一時に入涅槃す。是時諸の得三道優婆塞は五百床を擧げ、四天王は佛乳母大愛道床を擧ぐ。佛自ら前にありて 香爐燒香供養す。佛比丘に語りていう、汝等我が乳母身を供養するを助けよ。爾の時諸阿羅漢比丘。各各神足力を以て、摩梨山上に到り、牛頭栴檀香薪を取りて佛の作𧂐を助く。・・」

(注2)佛説淨飯王般涅槃經「その時世尊。威光益すます顯なり。萬日の並ぶが如し。如來躬身。手に香爐を執り、喪に在て前行す。出て葬所の詣ず。靈鷲山上に千の阿羅漢有り。神足力を以って、虚に乘じて來至し、佛足に稽首す。復た佛に言して白く「唯だ願くは世尊。何事か勅使せん」。時に佛便ち諸阿羅漢に告ぐ。「汝等疾く大海渚上往き、牛頭栴檀種種香木を取れ」。即ち教勅を受け、彈指の如くの頃に、各大海に到り、共に香薪を取り、臂を屈伸する頃に、便ち已に來到す。佛と大衆。共に香薪を積み、擧げて棺上に置き、火を放ちて之を焚す。一切大衆。火盛然を見、皆佛前に向い宛轉自撲す。益更悲哭。得道の者は皆自ら慶幸す。未だ道を獲ざる者は心戰惶怖。衣毛爲竪す。爾時世尊。衆會に告げて曰く。世は皆な無常なり。苦は空にして身あることなし。堅固なるもの有ることなし。如幻如化。熱時炎の如く、水中の月の如し。命は久居せず。汝等諸人。勿ち此の火を見よ。便ち以って熱となす。諸欲之火。極めて復た此を過ぐ。是故に汝等。當に自ら勸勉し、永く生死を離れ大安を得よ。時に火焚大王身燒已んぬ。爾時諸王。各各皆五百瓶の乳を持し、以って滅火に用う。火滅之後。競い共に收骨す。金凾を盛置し、即ち其上に便ち共に起塔し、幡蓋及種種鈴を懸け塔廟を供養す。時に諸大衆。同時に發聲し、倶に白く「佛は言いたまへり、大淨飯王。今已に命終すと。神は何所に生ずるや。唯だ願くは世尊。分別解説したまえ」。時に世尊。衆會に告げて曰く。「父王淨飯は是清淨人なり。淨居天に生ず」。衆會是語を聞き已りて、便ち愁毒を捨てぬ。佛經を説き竟んぬ。諸天龍神及四天王・所將眷屬・世間人民・一切大衆、佛に作禮し各自還去す。

佛説淨飯王般涅槃經」

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