「後拾遺往生集」に不思議な遊女の話がでてきます。遊女として菩薩業をなしていたと思われる記述がありました。華厳経の遊女「婆須密多」や、「尼僧の告白」の多くの遊女たちを思い出させます。
1、「後拾遺往生集」「陸奥に一女あり。若年の時、艶を立て色を好み、夫と定まれる無し。衆人共に来るも敢へて之を厭はず。皆以て許容す。後、更に一人も来る者無し。寡宿、年を経る。親しき人有りて、由緒を問ふ。答えて曰はく「我聞く、人情うに随ふは是菩薩なりと。之に依りて男の来るを返さず。又聞く、愛欲は是れ流転の業と。之に依りて交会の時、一念愛著の心を生ぜず。弾指して眼を合せ、不浄を観ず。人有りて欲事を成すの時、此の念、いよいよ盛んなり。仍って衆人皆恥じて来ず也云々。
比丘尼となりて念仏を業と為し、臨終病悩の時、閉眼則ち弇色の仏空に満つる事、清夜に星を見るが如し云々。」
2、これを読むと華厳経入法界品善財童子が廿六番目に尋ねる「南方険難国宝荘厳城 婆須密多女人」を思い出します。ここは華厳経の中でも有名な箇所で、善財が遊女に会うという箇所です。善財童子が道行く人に婆須密多女人の場所を聞くと人々は「あなたのような穢れを知らぬ人がたずねるような相手に非ず(婆須密多女人は遊女であるから)」と心配する。しかし別の人はこの婆須密多女人は知恵ある人として認め、城中の深宮にいます、と教える。婆須密多女人は宮殿の獅子座に坐していて肌は金色・瞳は碧緑、光輝く容貌で薫香を放ち多くの侍女にかしずかれていた。婆須密多女人は善財に自分は【離欲實際清淨法門】を成就していて自分と共に宿る者は解脱光明三昧を得、阿梨宜(ありぎ・抱擁)する者は攝一切衆生三昧を得、阿衆鞞(あしゅび・接吻)する者は諸功徳密藏三昧を得るといいます。
3、原始仏典でも釈尊の弟子の尼僧教団に多くの遊女がいたことが書かれています。
・「尼僧の告白」「アッダカーシー尼」「遊女としてのわたしの収入はカーシー国全体の収入ほどもありました。町の人々は、それをわたしの値段と定めて、わたしを根のつけられぬものであると定めました。
そこでわたしはわたしの容色に嫌悪を感じました。そうして嫌悪を感じたものですから、欲を離れてしまいました。もはや生死の輪廻の道を繰り返し走ることがありませんように。三種の明知(宿命通・天眼通・漏尽通)を現にさとりました。仏陀の教えをなしとげました。」
・「尼僧の告白」「もと遊女であったヴィマラー尼」「わが身の容色と姿と幸運と名声とに
酔いしれ、若さにたよって、わたしは他の女人たちを見下していました。愚かな男たちの言い寄るこの身体をいとも美しく飾って、網を広げた猟師のように、わたしは娼家の門に立っていました。秘密に、あるいは露に、多くの飾りを見せながら、多くの人々を嘲笑いながら,妖しげな種々の術を行いました。その私がいまや頭髪を剃り、大衣をまとって托鉢に出かけて、樹の根もとで、思考せざる境地を体得して坐しているのです。天界と人間界の軛はすべて断たれました。すべての汚れを捨てて私は清涼となり、安らぎに達しています。」
・「尼僧の告白」「もと遊女のアンバパーリー尼」「・・・わたしの両方の乳房は、昔は、豊かにふくらんで円く、均整がとれて、上に向いていましたが、(いまや)それらは、水の入っていない皮袋のように垂れ下ってしまいました。真理を語るかたのことばに、誤りはありません。わたしの身体は、よく磨いた黄金の板のように、昔は美しかったのですが、いまでは、細かい皺で覆われています。真理を語るかたのことばに、誤りはありません。・・・このように、より集まって出来ているこの身は、老いさらばえて、多くの苦しみのむらがるところです。それは、塗料の剥げ落ちたあばら家です。真理を語るかたのことばに、誤りはありません」。なお雑阿含経にはアンバパーリー尼が釈尊に供養するとこ路が出てきます。「一時仏在跋祇人間遊行、到毘舎離国菴羅園中住。爾時菴羅女聞世尊跋祇人間遊行至菴羅園中住、即自荘厳乗車出毘舎離城、詣世尊所恭敬供養……」
1、「後拾遺往生集」「陸奥に一女あり。若年の時、艶を立て色を好み、夫と定まれる無し。衆人共に来るも敢へて之を厭はず。皆以て許容す。後、更に一人も来る者無し。寡宿、年を経る。親しき人有りて、由緒を問ふ。答えて曰はく「我聞く、人情うに随ふは是菩薩なりと。之に依りて男の来るを返さず。又聞く、愛欲は是れ流転の業と。之に依りて交会の時、一念愛著の心を生ぜず。弾指して眼を合せ、不浄を観ず。人有りて欲事を成すの時、此の念、いよいよ盛んなり。仍って衆人皆恥じて来ず也云々。
比丘尼となりて念仏を業と為し、臨終病悩の時、閉眼則ち弇色の仏空に満つる事、清夜に星を見るが如し云々。」
2、これを読むと華厳経入法界品善財童子が廿六番目に尋ねる「南方険難国宝荘厳城 婆須密多女人」を思い出します。ここは華厳経の中でも有名な箇所で、善財が遊女に会うという箇所です。善財童子が道行く人に婆須密多女人の場所を聞くと人々は「あなたのような穢れを知らぬ人がたずねるような相手に非ず(婆須密多女人は遊女であるから)」と心配する。しかし別の人はこの婆須密多女人は知恵ある人として認め、城中の深宮にいます、と教える。婆須密多女人は宮殿の獅子座に坐していて肌は金色・瞳は碧緑、光輝く容貌で薫香を放ち多くの侍女にかしずかれていた。婆須密多女人は善財に自分は【離欲實際清淨法門】を成就していて自分と共に宿る者は解脱光明三昧を得、阿梨宜(ありぎ・抱擁)する者は攝一切衆生三昧を得、阿衆鞞(あしゅび・接吻)する者は諸功徳密藏三昧を得るといいます。
3、原始仏典でも釈尊の弟子の尼僧教団に多くの遊女がいたことが書かれています。
・「尼僧の告白」「アッダカーシー尼」「遊女としてのわたしの収入はカーシー国全体の収入ほどもありました。町の人々は、それをわたしの値段と定めて、わたしを根のつけられぬものであると定めました。
そこでわたしはわたしの容色に嫌悪を感じました。そうして嫌悪を感じたものですから、欲を離れてしまいました。もはや生死の輪廻の道を繰り返し走ることがありませんように。三種の明知(宿命通・天眼通・漏尽通)を現にさとりました。仏陀の教えをなしとげました。」
・「尼僧の告白」「もと遊女であったヴィマラー尼」「わが身の容色と姿と幸運と名声とに
酔いしれ、若さにたよって、わたしは他の女人たちを見下していました。愚かな男たちの言い寄るこの身体をいとも美しく飾って、網を広げた猟師のように、わたしは娼家の門に立っていました。秘密に、あるいは露に、多くの飾りを見せながら、多くの人々を嘲笑いながら,妖しげな種々の術を行いました。その私がいまや頭髪を剃り、大衣をまとって托鉢に出かけて、樹の根もとで、思考せざる境地を体得して坐しているのです。天界と人間界の軛はすべて断たれました。すべての汚れを捨てて私は清涼となり、安らぎに達しています。」
・「尼僧の告白」「もと遊女のアンバパーリー尼」「・・・わたしの両方の乳房は、昔は、豊かにふくらんで円く、均整がとれて、上に向いていましたが、(いまや)それらは、水の入っていない皮袋のように垂れ下ってしまいました。真理を語るかたのことばに、誤りはありません。わたしの身体は、よく磨いた黄金の板のように、昔は美しかったのですが、いまでは、細かい皺で覆われています。真理を語るかたのことばに、誤りはありません。・・・このように、より集まって出来ているこの身は、老いさらばえて、多くの苦しみのむらがるところです。それは、塗料の剥げ落ちたあばら家です。真理を語るかたのことばに、誤りはありません」。なお雑阿含経にはアンバパーリー尼が釈尊に供養するとこ路が出てきます。「一時仏在跋祇人間遊行、到毘舎離国菴羅園中住。爾時菴羅女聞世尊跋祇人間遊行至菴羅園中住、即自荘厳乗車出毘舎離城、詣世尊所恭敬供養……」