福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お大師様のご足跡寺院 その4

2012-09-22 | お大師様のご足跡寺院
12、大師三十歳、延暦二十三年(804)、三十三歳、大同元年(806)再度山参詣・・・再度山大龍寺(神戸六甲再度山にある大龍寺は和気清麻呂の創建とされます。大師は入唐求法に際し祈願され、また帰朝後は報恩謝徳のため七日間秘法を勤修されたといいます。大師が再び登山されたというので「再度山」と呼ばれるようになり、修法された場所を「修法ケ原行場」と呼んでいます。)

13、大師三十一歳、延暦二十三年(804)入唐求法・・・青龍寺(大師は延暦二十三年遣唐使藤原葛野麻呂の船で入唐されました。半年間は延康坊西明寺に住し大興禅寺や醴泉寺等を訪れ梵字等の修学に勤められ、翌年青龍寺東塔院の恵果阿闍梨に師事され、胎蔵法、金剛界、阿闍梨位の各灌頂を悉く授けられました。恵果阿闍梨は「今即ち授法の在る有り。経像の功畢ぬ。早く郷国に帰って以て国家に奉り、天下に流布して蒼生の福を増せ(『性霊集』)」とおっしゃり翌延暦二十五年十二月十五日に入寂されてしまいます。大師の『恵果和尚碑』には「虚しく往きて実ちて帰る。 近きより、遠きより、 光を尋ねて集会す・・」とあります。 近年青龍寺は西安の観光スポットとなっているようです。

14、大師三十三歳、大同元年(806)大師帰朝・・・観世音寺(大師は大同元年帰朝されましたがすぐには入京を許されず、しばらく筑紫の観世音寺に滞在されました。弘法大師御伝には「藤原藤嗣朝臣符牒を観世音寺に送り、・・・入唐学問僧空海、空しく往き手て満ちて帰る、入京の日まで供養に充てよ」と書いています。大師はこの間「請来目録」を朝廷に奉進されました。「未だ学ばざるを学び、〜聞かざるを聞く」(『請来目録』)とかかれています。観世音寺の北には「清水井」と呼ばれる湧き水の池があり、この湧き水は『筑前国続風土記拾遺』にも、「池の周りに観音菩薩と弘法大師の石造があるので、俗に弘法水と呼ばれている。」と記され、この「弘法水」の敷地内には、「筑紫四国霊場第三番札所 池渕弘法大師」のお堂があります。




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