福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「観音の霊験」中根環堂 その2

2020-07-24 | 頂いた現実の霊験
「観音の霊験」中根環堂(昭和初期の教育家、曹洞宗僧侶。鶴見大学理事長・校長、駒沢大学学長)その2

明治初期には在家仏教が盛んになった。
・幕臣でありながら宮内少輔になり子爵となった山岡鉄舟(天竜寺滴水、円覚寺洪川に参じ、滴水和尚から印可を与えられた。全生庵建立)
・陸軍中将枢密院顧問子爵の鳥尾得庵(山岡鉄舟、高橋泥舟等と鎌倉円覚寺今北洪川管長のもとで修禅の会「両忘会」を開始)
・陸軍中将枢密院顧問子爵の三浦観樹。(釈雲照・竹田黙雷に師事)
・子爵の品川弥次郎(峨山禅師に師事。居を念仏庵となずけ聖徳太子尊像を掲げる
・子爵の渡部國武(臨済禅に傾倒し無辺侠禅と称す)など。
この中で子爵・宮中顧問・海軍中将小笠原長生も観音様の熱烈な信者であった。
・子爵・宮中顧問・海軍中将小笠原長生の話
「自分は観音信者である。幼少期は母に連れられ毎月浅草の観音様に参詣していた。家にも山口要助という無類の観音信者の老僕がいた。彼も村はずれの観音堂に幼少期より参詣していたが4,5歳の頃のある日、一心不乱に拝んでいると一陣の風が吹いて胸の中に入った気がしたらしい。その後はいつともなく延命十句観音経を覚え、苦しんでいる人・困っている人を何万人と助けることが出来るようになったという。その方法は至って簡単で、相手の患部を押さえて延命十句観音経を唱え、終わるとエイッと気合をかけ、息を『ふうっ』と吹きかけるというものであった。すると効き目はすぐに表れた。しかし要助は決してお礼を受け取らず『お供えを観音様にあげて信心しておくれ。治してくださったのは観音様だから』というのであった。自分(海軍中将小笠原長生)の場合でいえば、明治26年に「高千穂」に乗り込むときこの要助から土蔵の中で見つけたという千手観音様を渡されたので艦内の艦長室に奉持して朝夕拝んでいた。明治27年7月日清戦争が始まったが9月ごろ夢を見た。敵は横陣をとり、我が軍は縦隊を組んでその前面を通過し勝つが自分は敵弾に当たり腕を負傷するという夢であった。その後9月17日には乗り組んでいる「高千穂」が黄海海戦に出ることになった。そして実戦でも夢の通りの陣形となり勝ったが、夢の通り砲弾が自室に当たり、室内は破壊された。しかし自分は奇跡的に無事であった。その後自室の観音様のお厨子をあけると千手観音様の右腕が取れていた。之を見た刹那思わずハッとひれ伏した。観音様が身代わりになってくださったのだった。」

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