類従三大格「太政官符」
応に諸国に佛名懺悔を行ぜしむること。
右内奥に禮懺の法あり、所以往を改め来るを修し、悪を滅し、善を興す也。人の世に在るは恒に罪を興すなり。己の三業を囙(因・より)て禍を成す。炙六根に従って咎を致す。罪は相縁ずる所、若干無数なり。唯まさに懺悔して我が心を陶出せしむべし。豈に覆蔵して他魔を滋漫(滋生蔓延)合すをや。夫れ万三千の寶号、二十五の尊名、之を聴く者は塵労自ずから脱す。之を仰ぐ者は煩鄣永く際つ。暴河の麁水を枯らし、羇鏁の金剛を研く。大矣浄業、而して称すべからず、承和の初めより勅あり(注1)。年終に至る毎に大内常に此の法を修し寰宇を護持し黎甿を饒益す。恩情慊切已に厚薄無しと雖も而も功徳は霑濡恐くは内外に殊なることを。大納言正三位兼行左近衛大将民部卿藤原朝臣良房、勅を奉じて宜しく天下一種修行、四方力を合わせて万民心を共にせしむ。諸国は須らく毎年十二月十五日より十七日迄、三箇日夜、別庁事に於いて灑掃粧厳し部内の名徳七僧を屈し、佛名大乗を禮讃すべし。凡そ慈悲を仏性と為す、敬信は是れ道場也.宜しく齋会の間は殺生禁断すべし。長官は僚下を率て誠を盡し、信を致し、祖奉すべし。其の布施は三宝に穀七斛、衆僧各の六斛、供養は例に准ぜよ。並びに正税を用ひよ。
承和十三年十月二十七日」
(仏名会は仏名懺悔(さんげ)ともいう。仏の名・仏名経を唱えて、懺悔滅罪を期する行事。過去・現在・未来の三世、八方上下計十方の国にいます三千ないし十万の仏の名を唱え礼拝(らいはい)する。日本では、9世紀ころに静安が始めたといい、宮中仁寿殿などで12月19日から3日間、賢護が奏進した一万三千仏画像を掲げ、地獄変の屏風を立て回し唱礼するようになった。のち1月の行事となった。『御仏名(おぶつみょう)、仏名懺悔(さんげ)ともいう。仏の名、仏名経を唱えて、懺悔滅罪(めつざい)を期する行事。過去・現在・未来の三世、八方上下計十方の国にいます三千ないし十万の仏の名を唱え礼拝(らいはい)する。日本では、9世紀ころに静安が始めたといい、宮中仁寿殿などで12月19日から3日間、賢護が奏進した一万三千仏画像を掲げ、地獄変の屏風(びょうぶ)を立て回し唱礼するようになった。のち1月の行事となった。
「「白居易」「経を礼する老僧に戯る」の「香火一炉燈一盞、白頭夜礼仏名経 何年飲着聲聞酒直到如今醉未醒」は『和漢朗詠集』にも出てきますし、『枕草字』第七十七段には「御仏
名のまたの日、地獄絵の御屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせ奉らせ給、ゆゆしういみじき事かぎりなし」とあります。)
(注1)平安中期の仏教説話集『三宝絵詞』巻下には、「仏名は、律師静安が、承和のはじめの年、深草の御門(仁明天皇)をすすめたてまつりて、はじめ行はせ給ふ」と記され『仏名会因縁』にも、「仁明天皇御宇、承和五年十二月十九日、元興寺律師静安等奏聞して、清涼殿に於いて始めて仏名懺悔を修す。先つ是は静安修行、近江比丘良山、
勤仕礼拝十六巻仏名経、其の声遥かに禁中に聴ゆ。主上駭き、静安に勅して、十六巻仏名を礼せしむ。其の声差うこと無し。傍て、内裏に於いて始めて仏名を修す。」)