今昔物語には伴善男の不成仏霊が肺の疫病を流行らせたという記事があります。
今昔物語・巻二十七 「或所膳部見善雄伴大納言霊語第十一」「今昔、□□□の比、天下に咳病盛りに発て、病まぬ人無く、上中下の人、病臥たる比有けり。
其れに、或る所に膳部しける男、家内の事共皆なし畢てければ、亥の時許に、人皆静まりて後、家へ出けるに、門に赤き表の衣を着、冠したる人の、極く気高く怖し気なる指合たり。見るに、人の体の気高ければ、「誰とは知らねども、下臈には非ざめり」と思て突居るに、此の人の云く、「汝ぢ、我れをば知たりや」と。膳部、「知り奉らず」と答ふれば、此の人、亦云く、「我れは此れ、古へ此の国に有りし大納言、伴の善男(伴大納言善男は応天門の変で伊豆に流罪)と云し人也。伊豆の国に配流されて、早く死にき。其れが行疫流行神と成て有る也。我れは、心より外に、公の御為に犯を成して、重き罪を蒙れりきと云へども、公に仕へて有し間、我が国の恩多かりき。此れに依て、今年、天下に疾疫発て、国の人皆病死ぬべかりつるを、我れ咳病に申行つる也。然れば、世に咳病隙無き也。我れ、其の事を云ひ聞かせむとて、此に立たりつる也。汝ぢ、怖るべからず」と云て、掻消つ様に失にけり。
膳部(かしわでべ・宮中等で食事をつかさどった職)、此れを聞て、恐々家に返て語り伝へたる也。其の後よりなむ、伴大納言は行疫流行神にて有けりとは、人知ける。
但し、世に人多かれども、何ぞ此の膳部にしも、此の事を告げむ。其れも様こそは有らめ。此なむ語り伝へたるとや。(昔、咳痛がはやった年に、某家に勤める膳部の前に「行疫流行神」となったかつての大納言伴善男が現れ、『今年の咳病は本来疾疫により 「国ノ人」 はみな死ぬところを、かつての 「国ノ恩」を思い自分が軽い咳病となるようにしたそのことを知らせようと 思い現れた、と言って消えた)」
今昔物語・巻二十七 「或所膳部見善雄伴大納言霊語第十一」「今昔、□□□の比、天下に咳病盛りに発て、病まぬ人無く、上中下の人、病臥たる比有けり。
其れに、或る所に膳部しける男、家内の事共皆なし畢てければ、亥の時許に、人皆静まりて後、家へ出けるに、門に赤き表の衣を着、冠したる人の、極く気高く怖し気なる指合たり。見るに、人の体の気高ければ、「誰とは知らねども、下臈には非ざめり」と思て突居るに、此の人の云く、「汝ぢ、我れをば知たりや」と。膳部、「知り奉らず」と答ふれば、此の人、亦云く、「我れは此れ、古へ此の国に有りし大納言、伴の善男(伴大納言善男は応天門の変で伊豆に流罪)と云し人也。伊豆の国に配流されて、早く死にき。其れが行疫流行神と成て有る也。我れは、心より外に、公の御為に犯を成して、重き罪を蒙れりきと云へども、公に仕へて有し間、我が国の恩多かりき。此れに依て、今年、天下に疾疫発て、国の人皆病死ぬべかりつるを、我れ咳病に申行つる也。然れば、世に咳病隙無き也。我れ、其の事を云ひ聞かせむとて、此に立たりつる也。汝ぢ、怖るべからず」と云て、掻消つ様に失にけり。
膳部(かしわでべ・宮中等で食事をつかさどった職)、此れを聞て、恐々家に返て語り伝へたる也。其の後よりなむ、伴大納言は行疫流行神にて有けりとは、人知ける。
但し、世に人多かれども、何ぞ此の膳部にしも、此の事を告げむ。其れも様こそは有らめ。此なむ語り伝へたるとや。(昔、咳痛がはやった年に、某家に勤める膳部の前に「行疫流行神」となったかつての大納言伴善男が現れ、『今年の咳病は本来疾疫により 「国ノ人」 はみな死ぬところを、かつての 「国ノ恩」を思い自分が軽い咳病となるようにしたそのことを知らせようと 思い現れた、と言って消えた)」